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「いつもやることが10年早いって、仲間によく怒られます」 【法政大学メディア社会学科准教授 藤代 裕之さん】

IT・Web業界 インタビュー ソーシャルメディア

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地方新聞ながら、大手新聞に見劣りしない待遇の新聞社がある。「徳島新聞」がそれだ。そんな徳島新聞の記者だった藤代裕之さんは10年前、当時まだ新興だったウェブ業界で「gooニュース」の編集者に転身した。そして、現在は法政大学社会学部准教授という、なんとも不思議なキャリアを歩んでいる。

 

ウェブメディアの乱立、紙メディアのウェブ戦略、ニュースキュレーションアプリの台頭。業界のめまぐるしい変化の中で、記者や編集者のキャリアは理想像を描きにくくなっている。現在、紙媒体からウェブメディアへの人材の移動が話題に上るが、藤代さんはとっくの昔にそれをやってのけた。

 

藤代さんは自身のキャリアについて、「いつもやることが10年早いって、仲間によく怒られます」と笑う。たしかにそれは言い過ぎではない。現在は教育分野へと転身された藤代さんのキャリアを伺いながら、「10年先」を見通す視点を追った。

インターネットの言論と新聞は、いつか絶対にぶつかると思っていた

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――徳島新聞は全国の新聞社の中でも非常に待遇のよい出版社であるとお聞きしましたが……率直にお聞きして、どうして徳島新聞をお辞めになられたのでしょうか 。

 

 『ネットは新聞を殺すのか―変貌するマスメディア』(NTT出版)を2003年くらいに読んだんです。『ガ島通信』というブログを2004年の9月にはじめたのも、それがキッカケでした。当時、私は徳島新聞の文化部にいたのですが、そもそも徳島新聞って長らく世帯普及率が日本一だった。当然、記者は「徳島の人は徳島新聞を読んでいる」という前提でいるわけじゃないですか。ウェブで言うなら、Yahoo!みたいなものですよね(笑)。

 

今でこそ「新聞がヤバい」みたいな話題を耳にしますが、当時はまだまだ新聞の影響力が強い時代。でも、社内には危機意識があったんです。「若い世代が新聞読んでねえぞ」みたいな。そこで、私は未読者・無読者対策としてひとつの紙面を、若者向けに任されました。新聞記者ってマーケティングのことがわからないから、わからないなりに取材してみたんです。若者に「新聞、読んでる?」って。そしたらやっぱり読んでないんですよ。読んでない上に、載りたくないって言うんです。

 

 ――えっ、どうしてですか?

 

「なんで?」って聞いたら「ダサイから」って(笑)。

 

――予想外の展開です(笑)。

 

なんで「ダサい」って言うのかなって思って、私は記者だから、街にいる若者に聞いて回ったんです。で、その理由を総合すると「優等生しか載ってないから」だった。賞を獲ったとか、大会に出たとか。そういう同級生って、中高時代はどう思ってましたか?

 

――いけ好かないと思ってました(笑)。親とか先生とかからは気に入られそうですが。

 

その通りなんです。新聞って、若者からすると大人が好きそうな情報しか載ってないんですよ。でも、私はそれまでぜんぜん気が付いていなかった。だから、私は担当の紙面を、デザインから何まで一新しました。まあ、社内にはいろいろ言う人もいましたが、当時の部長や局長が任せてくれました。30歳くらいだったんですが、ある意味ではメディアの立ち上げにも似ていた。レイアウトはどうしたら対象の読者に読まれやすいだろうかとか、相当好き勝手にやらせてもらえて、すごく面白かったんです。

 

でも、同時に新聞というメディアの限界も見えてしまいました。2004〜2005年って、日本でもブログが盛り上がってきた時代で、読者の反応がコメントなどでダイレクトに伝わるし、トラックバックをもらうとうれしいし。

 

――トラックバック! 懐かしいですね。


何て言うか、「ワーッ」ていう熱がありましたよね。地方にいながらして、私はブログ上でたくさんの人と知り合いました。その頃私はまだ匿名の新聞記者ブロガーとして、アルファブロガーと呼ばれる方々ともつながることができた。そういうコミュニティと私は出会ってしまったんです。一方、新聞は伝統や歴史あるフォーマットを崩すことができない。そこで初めて転職を考えました。ある意味では、ブログをやっていなかったら転職しようとは絶対に思わなかったはずです。

 

インターネットって楽しいな、このまま徳島にいて、この時代の波みたいなものに取り残されてしまうのはイヤだなと思ったんです。もっと変化の真ん中で、この時代の風を感じたい。なので、いくつかの会社を受けさせてもらって。

 

――あれ、自分から受けたんですね。引き抜きではなく。

 

そうなんです。出来上がったばかりのインターネットの言論空間で感じた空気と、100年の伝統を持つ新聞社の中で感じた伝統とは、いつか絶対にぶつかると思いました。今でこそ、新聞の記事があれこれネットで批判されることがありますが、私は当時、いずれそういうことは起こると思っていた。そのときにこっち(新聞)側にいていいのか、もっと新しいジャーナリズムに身を置くべきなんじゃないかと思って、次を決めずにサクッと辞めちゃったんです。

 

で、しばらくは地元で後輩に紹介してもらった仕事をしていました。焼き肉をおごっていてよかったと思いましたね(笑)。ただ、インターネットが好きで辞めたんだから、やっぱりちゃんとチャレンジしたい、ということでいくつかの企業を受けて、NTTレゾナントに拾ってもらったという経緯です。

思い付きで開発した「ただプッシュ通知を送るだけのシステム」

 

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――最近は『BuzzFeed』の編集長に朝日新聞出身の古田大輔さんが就任するなど、オールドメディアからウェブメディアへの移籍が話題になっていますが、藤代さんはその走りですね。

 

その頃すでに、『THE PAGE』の奥村さん(奥村倫弘氏)のように、新聞メディアからウェブへの流れはあったんです。私もそのうちひとりの先輩の紹介で、NTTレゾナントを受けるチャンスをもらいました。もともと私は若者向けページを担当していたこともあり、旧来のメディアへの危機感みたいなものを共有するような勉強会やイベントを、新聞社を越えて開催していて。なので、知り合いは多かった。そのつながりがあったから、地方からでもウェブ業界に転身できたというのはあります。

 

私はよく言うんですが、「コミュニティを主催しよう」と。ただ参加するのと自分で主催するのでは、得られるものがぜんぜん違う。もし自分のネットワークを広げたいのであれば、コミュニティの主催者側になってつながりを広げるべきです。本当に困ったときに自分を助けてくれるのは、緩い紐帯のようなつながりだと私は思っていて、そうすると参加者のネットワークでは強度が足りない。主催者になって自分の活動を知ってもらうことで、声が掛かるチャンスがより大きくなります。

 

――お話を聞いていると、思い立ったら行動してしまう藤代さんのキャラクターを、それまでに形成した人と人とのつながりがカバーしているように思えます。

 

そうかもしれないですね。やっぱりつながりって大事ですよ。

 

――IT企業であるNTTレゾナントと伝統ある新聞社とでは、どのような違いがありましたか。

 

新聞記者だと意思決定とか承認のフローがあまりないんです。「取材行ってきまーす」で済んでしまうところを、NTTレゾナントはIT企業とはいえもちろんしっかりした会社ですから、決裁とか業務報告書とか、そういうことを覚えるのに時間がかかりましたね。

 

――意外なつまづきです(笑)。

 

パワーポイントを作ったことなかったんですよ(笑)。あとはアクセス解析とか営業の数字とか、今となってはメディアを運営する上では当たり前ですけど、そこで初めて意識するようになりました。面倒くさいとは思いましたが、やらないと仕事にならないので。

 

「自分のノウハウやスキルを活かして転職しましょう」ってよく言われるんですけど、新聞社で長年勤務していて、ブログもやっていて、それなりに自負があった私もやっぱり苦労しました。転職ってリニアに成長できるものではなくて、一度荷降ろしするというか、イチからやり直すという気持ちも必要かもしれません。

 

――NTTレゾナントではgooニュースの編集者だったとのこと。紙からウェブへと転身されて、どこに一番苦労されましたか。

 

例えば「どうすれば見出しがもっとクリックされるのか」を試行錯誤しながら、同時に質の高いジャーナリズムを維持するのが大変難しいことなんだと知りました。

 

――そこには一定の結論が……?

 

見つかっていないです、永遠の課題ですね(笑)。でも、難しいということはわかりましたし、それが一番の収穫かもしれないですね。あとは、当時は編集だけではなくて、ウェブサービスも開発させてもらっていたので。

 

――新聞記者からウェブのサービス開発者って、全くの異業種じゃないですか。

 

そうですね、当時はWeb2.0の時代で、ラボサービスが流行していました。NTTレゾナントもGooラボという場所で、最新のウェブ技術を商品化の一歩手前でどのように見せるのかを研究していた。たとえば『ブログ通信簿』といって、ブログのURLを入力するとテキストを読み込んで、解析して、運営者の性格を診断するという当時の最新技術を使用したサービスや、あと一番わけがわからなかったのは、携帯電話でボタンを押すと相手に通知が行くだけというサービス。

 

――FacebookのPokeみたいですね。

 

そうそう、今だったらLINEでスタンプを送るところですが、これはボタンを押すと相手の携帯が「ブブッ」と鳴るだけ(笑)。そういう技術を真面目に研究していたんです。研究所だから。

 

参考:「1プッシュで「伝える」「感じる」コミュニケーション「暗黙知通信」の実証実験開始 ――究極のシンプルコミュニケーションを携帯電話アプリで実現」(NTT技術ジャーナル 2011.7)

 

――シュールですね(笑)。今出せば流行るんじゃないですか。

 

仲間にも「もうちょっと我慢してくださいよ。辛抱強く待っていれば時代が追いつくのに」って、よく怒られます。でも、思い立つとすぐやりたくなっちゃうんですよね(笑)。

次の「100分の1」を探しながら、日本に最高のジャーナリズムの学校を作る

 

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――新聞社、ウェブ業界ときて、現在の大学に転身されたわけですが、これはどのような理由からだったのでしょうか。かなりのピポットに思えるのですが。

 

そうですね……新聞社みたいな伝統あるコミュニティにどっぷり浸かるのも、糸井重里さんが言うような「インターネット的」に人と人とがフラットにつながるのも、これからの時代にはどっちの目線も必要だと思ったんです。それで教育に興味を持ちました。

 

――現在は両方を見通せる中立的な視点に立っている、ということでしょうか。

 

良く言えば、ですね(笑)。悪く言えばどっちつかずなんです。

 

――藤代さんは視点が本当にジャーナリストですよね。公平であり、ご自身にも批判的であるというか。

 

そうですね、私はそれがジャーナリストに限らず、書き手には一番必要なことだと思っているので。どんどん人気が出て、次第に自分を見失っていった人たちもこの10年で見てきたし、ソーシャルメディアの時代って怖いなと思っていて。ウケるとやりすぎちゃうじゃないですか、だからズレてたら教えてくれる仲間ってすごく大事だと思っています。

 

――身につまされます。

 

バランスを保ちながら情報発信をするってすごく難しいので、「藤代さんだからできるんですよ」って言われちゃうこともあります。インターネットはこんなにおもしろいのに、残念ですよね。だから、「みんなが楽しむにはどうすればいいんだろう」という疑問からスタートして、共通項や再現性を見出して、それを世の中に伝えたくて。私はこれができるのが教育だと思っています。その方法というのが表面的ではない分、学生には「厳しい」と言われてしまいますが。

 

そもそも、私は何かをやっては失敗しておもしろがっているだけで、自分がすごい人間だとは決して思いません。でも、いろいろなつながりや、タイミングが良かったおかげで、東京に出てきて好きなことができている。だからこそ、自分がインターネットを通じて受けた恩恵を、次の誰かに渡したいんです。それは日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)も同じで、アワードやキャンプによって次世代のジャーナリズムを考えるという活動をしています。

 

――今年の1月に開催されたJCEJのイベント『ジャーナリズム・イノベーション・アワード2015』では、ウェブライターのヨッピーさんが予選をトップで通過したことでも話題になりました。

 

現状だと、新聞は新聞、テレビはテレビ、ネットはネットの人ばっかりと付き合っていますよね。お互いのノウハウを共有して、新しいメディアとかジャーナリズムを提案するにはどうしたらいいのかと考えたときに、つながる場を提供することが必要なんじゃないかと。

 

ウェブメディアが「自分たちはジャーナリズムをやってない」って言うことがあると思うんです。あるいは「自分たちはメディアでもない、プラットフォームだ」とか。でも、そう言い続けた結果、ステマとかパクリの問題で社会の壁にぶち当たっている。これって、質に対する言い訳ですよね。影響力が次第に大きくなれば、社会に対する責任が生じます。もちろん今は、ウェブメディアでも質を高めて社会に対する責任を果たそうという機運が見られますが。

 

――少しずつ、変わってきている気がします。

 

世の中変わるんです。変化って、はじめはゆっくりですけど、そのうちそれがなかったことを忘れちゃうくらい急激に起こります。

 

――この10年、この業界の変化を見続けてきた藤代さんだからこそ、非常に説得力があります。今後、藤代さんはどのようなキャリアを歩まれるのでしょうか。

 

私は新聞社からインターネットに早く移ったので、昔は両方わかる人材は少なかったと思います。でも、今ではいっぱいいますよね。これでは自分の価値が長く続かないことはわかっていて、私はもともと教育に興味があったので、活動の場を大学に移しました。教育改革実践家の藤原和博さんは「100分の1人材」を提唱していて、まずは自分の専門分野で100分の1の人材になって、また別の分野で100分の1になれと。掛け合わせれば1万分の1の人材だと。

 

――そうやって、自分に希少性を持たせていくということでしょうか。

 

はい。10年前であれば新聞社からインターネットに移ったキャリアは1万分の1くらいの価値だったと思うんですが、今では100分の1くらいでしょうか。もちろん今は教育が楽しいのですぐに辞めることはありませんが、次の100分の1を探しているところです。ただし、もちろん楽しくないと続きませんから、いかに自分がおもしろいと思える分野で100分の1をとっていくか、次のキャリアの種を仕込むというのは、いつでも考えるようにしています。

 

あとは、大学に行った(転身した)のは、日本でちゃんとジャーナリズムの教育をしたいというのが理由なので、日本に最高のジャーナリズムの学校を作りたいです。ちょっとずつそこに近づいている気がするし、近づけなきゃいけないと日々考えています。まあ、日々上手くいかないことばかりなんですが(笑)。いや、だいたい上手くいかないですね。「今日も上手くいかないなぁ」って、いつも思ってます。

 

(インタビュー・文:朽木誠一郎/ノオト)

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藤代裕之さん

広島大学卒。徳島新聞社で記者として、司法・警察、地方自治などを取材。NTTレゾナントで新サービス立ち上げや研究開発支援担当を経て、法政大学社会学部准教授。関西大学総合情報学部特任教授。教育、研究活動を行う傍らジャーナリスト活動を行う。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。著書に『ソーシャルメディア論: つながりを再設計する』(青弓社)などがある。

 

 

 

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