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輝かしい「ニコラ」モデルから、「息するトルソー」へ 広告モデル・日笠麗奈が乗り越えた葛藤 - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~

輝かしい「ニコラ」モデルから、「息するトルソー」へ 広告モデル・日笠麗奈が乗り越えた葛藤 - はたラボ ~パソナキャリアの働くコト研究所~

モデルの日笠麗奈さんは中学1年の頃、ローティーン向けファッション誌「nicola(ニコラ)」の専属モデル、通称「ニコモ」としてデビュー。数千人以上の応募者の中からオーディションで選抜される「ニコモ」は、過去には蒼井優さん、新垣結衣さんなど錚々(そうそう)たる顔ぶれが選ばれている。キャリアの入口こそ華々しいが、高1で雑誌を離れてからは挫折や葛藤の連続だったという。

ニコラモデル卒業以降、日笠さんの主戦場となったのは、雑誌ではなく「広告」。スーパーのチラシや洋品店のカタログ、女性用スーツのパンフレット……。そこは、中高生のカリスマだった頃とはあまりにも異なる世界だった。

惨めな思いがなかったわけではない。それでも、一つひとつの仕事に前向きに取り組み、「モデル業」に食らいついた。すると、いつしか仕事の幅も広がり、今が一番楽しいと思えるまでになった。

そんな日笠さんに、広告モデルとして奮闘する日々の中で培った仕事への考え方、思いを聞いた。

 

中学生にして、心から好きと言える仕事に巡り合う

雑誌モデルと広告モデル。同じモデルでも、両者は似て非なるもの。モデルのキャラクターを前面に押し出す雑誌に対し、広告はあくまで商品が主役だ。広告モデルには、没個性な“トルソー”としての役割が求められる。日笠さんは「ニコモから広告モデルになったのは、恐らく私以外にはほとんどいない」と語る。その道のりには、どんな悩みや困難があったのだろうか。

 

── 2000年代はニコラを含むティーン誌の最盛期。オーディションの倍率もすごかったんじゃないですか?

 

日笠さん(以下、敬称略):当時は数千人の応募があったと聞きました。選ばれたのは私を含む5人ですね。

ニコラ時代

── まず、そこに選ばれること自体が快挙ですよね。

 

日笠:でも、実はその前年にも一度挑戦していて、最終選考で落ちているんです。だから、そもそも私は挫折から始まっているんですよ。当時のニコラのオーディションって独特で、書類選考に通った時点でいったん全員が誌面に掲載されるんです。だから、そこで落ちちゃうと格好の標的になってしまうんですよ。「この子なんで最終に残ってるの? ブスじゃない?」とか、好き勝手言われるだけで終わってしまう。それはちょっと耐えられなくて……。

 

── それで翌年リベンジすると。

 

日笠:次は絶対受かんなきゃって、火が付きました。ただ、だからといって1年で技術が向上したわけではなくて、その時も最終のカメラテストでうまくできず、ボロボロ泣いて悔しがって……。当時の編集長は、そのガッツを評価したとおっしゃっていました。なので、いろんなことを皆さんに汲んでいただき、「受からせていただいた」という感じでしたね。

 

── その頃から負けず嫌いだったんですね。

 

日笠:いや、実はそうでもなくて。どちらかというと消極的でしたし、気持ちを表に出す子どもじゃなかったんです。それが、モデルの仕事に関してだけは頑張りたい思いがあって、そのぶん悔しかったのかなと。親も驚いていましたね。本当にやりたいんだなあって、応援してくれました。

 

── モデルの仕事は楽しかったですか?

 

日笠:楽しかったです。毎回違う服を着て、好きなポーズをとって、変化のある毎日で。最初はできないことが多かったけど、そのぶん勉強のしがいもありました。いろんな雑誌のモデルさんのポーズを切り取って、雰囲気とかジャンル別にスクラップしたりとか。とにかく一生懸命でしたね。心から好きだと言える仕事に、中学生にして巡り合うことができたのは本当にラッキーだったと思います。

■雑誌モデルから「広告モデル」へ……。当初は葛藤も


── では、当時はもうイケイケという感じだったんでしょうか?

 

日笠:いえ、楽しさを感じつつも、実際はつらいことの方が多かったと思います。特に、撮影に呼ばれない期間が長く続くと本当にしんどくて……。なんで呼ばれないか自分なりに考えてみるんですけど、結局は編集者さんの好みもあるし、なかなか難しいですよね。それってもう顔の問題じゃん! って、やさぐれたこともありました(笑)。努力が必ずしも報われるわけじゃないんだなって、結構若くして悟りましたね。

 

── それでも、ニコラ卒業後もモデルは続けたんですよね。

 

日笠:ニコラは高校1年生の終わりまでに卒業するルールなので、残りの高校2年間でそのままプロのモデルの道に進むのか、大学に行って就職するのか、考える猶予があるんです。今思えば、ちゃんとモデルの将来を考えてくれているからこそのルールだと思うんですけど、当時は「どうしてやめさせられなきゃいけないの?」っていう気持ちが強かったですね。やっぱり撮影に行けば楽しかったですし。だから高2、高3の二年間は、地元の岡山からいろいろなオーディションを受けに上京していました。10分のオーディションのために新幹線に乗り、そんなに親しくもない親戚の家に頼み込んで泊まらせてもらって。高校卒業までに、何とかモデルとしてやっていける道筋をつけようと必死でした。

── それはファッション誌のオーディションですか?

 

日笠:ニコラをやめた直後は雑誌のオーディションにも何度か行かせてもらいました。でも、やはりファッション誌って狭き門で、そんなに簡単に決まるものじゃない。それで、当時所属していた事務所が広告に強かったこともあって、広告モデルの仕事が増えていったんです。

 

── 当時は広告モデルという仕事をどうとらえていましたか?

 

日笠:当初は、雑誌モデルと広告モデルの違いをちゃんと理解できていたわけではなかったんですけど……、でも明らかに「負け」みたいな気持ちはあったと思います。雑誌モデルが一番すごいと思っていましたし、チラシやコマーシャルの仕事に対して、当時は100%前向きではなかった。葛藤はありましたよ、やっぱり。

 

── どう気持ちに折り合いをつけていったんですか?

 

日笠:徐々にお仕事をもらえるようになって、何とかこれでやっていけるんじゃないかという気になってきて、高校卒業後は勢いに任せて上京しました。もう上京しちゃったし、自分で家賃を払ってご飯を食べていかないといけないし、広告モデルとして仕事をしていこうと。「折り合いをつけた」というより、「腹をくくった」感じですね。いただくお仕事はとりあえず全力でやろうと。ただ、その時もそんなに胸を張って人様に言えるような仕事ではないと思っていました。実は、結構長いこと病んでいたんですよ。

 

── 高1までの環境が華やかだったぶん、ギャップも大きいですよね。

 

日笠:モデルをやっていると言うと、必ず「何の雑誌出てるの?」って聞かれるんですよ。これって広告モデル界のあるあるなんです。聞く人は全く悪意がないんですけど、最初はその度に、なんで雑誌に出られないんだろうって落ち込んでいました。それって広告モデルたちの通過儀礼というか、それを言われても落ち込まないメンタルを身につけないと務まらない。

広告モデルは自分の適性に合っていた


── 雑誌モデルと広告モデルの違いで、最も戸惑ったことは何ですか?

雑誌モデルのポージング例。顔の表情が豊かで服に動きをつける

日笠:私がやっていたのがティーン誌ということもあって、ポージングはまるで違いましたね。広告は全身の服をいかにきれいに見せるかが全てで、モデルの自己主張はいらないんです。ニコラ時代の名残でうっかり襟をぎゅっとつかむポージングなんかしちゃうと、カメラマンさんによってはシャッターすら切ってくれない。

 

── それは厳しい……ですね……。

広告モデルポージング例。服が映えることが最優先。角度をつけた指のポージングは広告モデルあるあるだそう

日笠:でも、広告モデルって一回きりの現場なので、そこで駄目だと次は使ってもらえない。ポージングのレッスンがあるわけでもないので、現場、現場でその都度学習して即実践する。それの繰り返しです。ですから、そういう厳しいカメラマンさんにしごいていただいたおかげで、必要な指先の動きとか、足の角度とかを早い段階で吸収できたので、今思えばありがたかったですね。

 

── 毎回が真剣勝負なのは雑誌も広告も変わらないと思いますが、広告モデルの方が一回の重みが強く、よりシビアかもしれませんね。

 

日笠:でも、常に最高のパフォーマンスを心掛けていくうち、一期一会と思っていた現場に知り合いが増えていったんです。それは、私のことを繰り返し使ってくださる代理店の方だったり、ディレクターさんだったり。広告モデルの仕事は単発だけど、頑張っていればまた別の現場で呼んでもらえるんだって気付いたんです。とても励みになりましたね。そのうち、私はこっちの方が向いているんじゃないかと思うようになりました。

 

── なぜ、そう思えたんでしょうか?

 

日笠:ニコラ時代は撮影に呼ばれない理由が分からず悩んでいましたが、広告の場合はオーディションで私を使いたいと思ってくれた人のところへ行くので、すごく気持ち的に楽だった。自信を持って現場に行けるっていうのが、まず大きかったですね。それから、毎回はじめましての現場でチームとして団結するためにコミュニケーションをとったり、盛り上げたり、そういう雰囲気が私にとっては心地よかったんです。やり直しがきかない緊張感もかえって集中力がアップするし、自分の適性に合っているのはきっとこっちなんだなって。

広告モデルの仕事の一例

過去の仕事、頑張った過去の自分が今につながっている


── 今はモデルを軸に、ライター業などもなさっていますよね。雑誌やウェブコンテンツで幅広く執筆されていますが、何がきっかけだったんでしょうか?

 

日笠:私、女性アイドルが好きで、というか、結構気持ち悪いくらいの女性アイドル好きなんで、好きなアイドルがいると「なんで私はこの子と血がつながっていないんだろう」って悶々とするくらい愛してしまうんですけど……、あ、引いてます? まあ、とにかくそういう話をいろんなところでしていたら、面白がってくれた編集の方からコラムのお仕事を振っていただいて。それが最初のきっかけです。そのうち、過去に私を広告モデルとして使ってくれた方がそのコラムを読んで別のライター仕事を紹介してくれ、徐々に増えていきました。

 

── 最近はニコラの姉妹紙「ニコ☆プチ」でも記事を書かれています。かつてモデルとして出ていた雑誌の関連媒体に、今は別の形で求められているんですね。

日笠:それも、たまたまのご縁なんですよ。以前、別のファッション誌でご一緒したカメラマンさんが「ニコ☆プチ」でもお仕事をされていて、ニコラの編集部につないでくださったんです。そしたら、私がモデルだった時に新卒でニコラの編集をやっていた方が今は「ニコ☆プチ」の編集長になっていて、そのご縁でライターとして起用していただけるようになりました。

 

── それは、ものすごくいい話ですね。

 

日笠:それって全て、過去にお仕事をした人とのつながり、お力添えなんですよね。広告モデルになった当初は正直「これを頑張ることが何になるんだろう」と、将来に不安を覚えて思い悩んだりもしました。でも、ちゃんとつながっていた。だから、過去の自分に「でかした」って褒めてあげたいです(笑)。過去の仕事の積み重ねが30歳手前にして効いてきて、年を重ねるごとに生きやすくなっています。今、本当に楽しいですね。
 

何かと不遇な広告モデル。しかし、それすらもネタに


──最近はラジオなどで広告モデルのエピソードを面白おかしく話すこともありますよね。何かが吹っ切れたんでしょうか?

日笠:そうですね。ただ、吹っ切れたのもあるけど、それ以上に広告モデルの世界って日々あり得ないことが起こってネタの宝庫なんですよ。友達の広告モデルも面白い子が多くて、多少の不幸もネタにして笑えればいいやって感じなので、もうウソみたいなエピソードがいっぱい集まってくるわけです。これは話さないともったいないなと。

 

── 話せる範囲で、例えばどんなエピソードが?

 

日笠:なんでも話せますよ。例えば、広告モデルって「カオギリ」っていう顔が写らない撮影も多いんですけど、よくあることなのですぐに受け入れて、淡々とやるわけです。ところが、とある現場で友達の広告モデルが顔に黒い画用紙を巻き付けられ、目のところにカッターで穴を開けられそうになって、それはさすがにどうなのって(笑)。視界を遮られた状態で、カチカチカチってカッターの音だけが聞こえる……ホラーですよね。

 

あと、これも友達の話なんですけど、メインのタレントさんの後ろに並ぶサブキャストとして出演した時に、カメラマンさんがずっとその子の肩をカメラ台代わりにしていたらしいです。これも完全に笑い話。カメラマンさん、撮影に夢中になり過ぎて気付いていなかったんでしょうね。その子も「なんかカメラ乗ってるな」とは思っていたらしいんですけど、下手に動いたら映像がぶれて収録が押すかもしれないし、もう今日はカメラ台に徹しようと。小口桃禾って子なんですけど、「せっかくならクレジットにスペシャルサンクス・小口の肩って入れてほしかったわ」って笑っていました。そういう面白い話がゴロゴロある。もはや、ネタになるハプニングを求めてしまっている自分もいます。

カオギリの例

とにかく何でもやって、自分の武器を増やしたい


── 日笠さんの明るい話しぶりからも、今いかに充実しているかが伝わってきます。今後チャレンジしてみたいお仕事や、キャリアの展望はありますか?

 

日笠:やってみたいことはたくさんあります。ライター業も続けたいし、好きなアイドル関係の仕事も大歓迎です。最近結婚したので妻だったり、子どもができたらママだったりという属性を生かせる仕事もできたらいいなと思います。今は「何でも屋」を自称しているんですけど、もう使えるものは何でも武器にして仕事につなげようと。

── 昔に比べて、使える武器がどんどん増えていきますね。

 

日笠:実は3年前に事務所をやめたんですが、フリーになってようやく自分の武器だったり、歩むべき方向性だったりがつかめてきました。それまでは13年間ずっと同じ会社に所属し、一つの価値観、一つのやり方しか知らないままなんとなく仕事を続けてきてしまった。だから、ずっとモヤモヤしていたと思うんです。でも、何の縛りもなくなって、試しにライター業をやってみたら「書けるモデル」っていう武器ができたし、結婚すら一つの特徴になると思えるようになった。実は今度また別の事務所に所属するんですけど、何かフックがないと目立てないから、自ら「売り」を作ってプッシュしてもらえるようにしようと考えています。

 

── その「売り」になるものを探すためにも、いろんなことに今後もチャレンジしていく必要があるのかもしれませんね。

 

日笠:そのつもりです。自分に何が向いているかなんて未だによく分からないので、とりあえず何でもやってやろうって。そして自分の「売り」が分かった状態で、新しいジャンルのモデルにも挑戦していけたらいいなと思っています。それは主婦モデルかもしれませんし、ママモデルかもしれない。もちろん、広告モデルの仕事も引き続きやりたいですしね。

 

── 声や話し方はやわらかい印象ですが、内に秘めている貪欲さがすごいです。

 

日笠:貪欲……かもしれません。お金だって稼ぎたいですしね。毎日楽しく働けて、気付いたらお金がたくさんある。そうなったら最高じゃないですか。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな編集部 撮影:小野奈那子

取材協力:日笠麗奈

日笠麗奈

1988年10月19日生まれ。新潮社「nicola」第4回モデルオーディションでグランプリに選ばれモデルデビューし、以降広告モデルとして多数の企業広告・CMなどに出演。現在は雑誌ライターやコラム執筆、モデル、MCなど、来る仕事拒まずの「なんでも屋」としてマルチに活動している。

 

日笠麗奈 (@reina_hikasa) | Twitter
日笠麗奈 (@reina_hikasa) • Instagram photos and videos

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