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音に乗せたオーケストラの思いを汲み、最高の表現を目指す指揮者・川瀬賢太郎さん|この「忖度」がスゴい!

ある時から「忖度」という言葉は悪しきもの、忌むべきものとして用いられるようになった。しかし、本来は「他者の心情を推し量り、配慮する」ことを指す。それはさまざまな人と関わりながら仕事をし、生活を営む我々の社会においては大事な素養の一つであり、程度の差はあれ、多くの人が何かしらの忖度をしながらそれぞれのコミュニティを立ち回っているのではないだろうか。

指揮者の川瀬賢太郎さんもまた、そんな忖度を働かせることで、オーケストラと良好な関係を築いてきた。大学在学中にプロのオーケストラを指揮し、29歳で神奈川フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就くという順風満帆に見えるキャリア。その裏にあった演奏家たちへの心配りについて、若きマエストロに聞いた。

指揮者・川瀬賢太郎さん

およそ5年前、29歳の若さでプロオケの常任指揮者に就任した川瀬さん。これまで、公にはしづらい苦労も辛酸もたっぷり味わってきた。それでも音楽やオーケストラに向き合う態度は、常に朗らかでポジティブだ

「俺様」指揮者は通用しない時代


── 指揮者といっても、独裁的にぐいぐい引っ張る「俺様タイプ」、あるいは演奏家一人ひとりの思いに寄り添う「気配りタイプ」など、さまざまなキャラクターの方がいらっしゃると思います。川瀬さんは、ご自身をどんなタイプと分析されますか?

 

川瀬さん(以下、敬称略):僕は完全に気配りタイプというか、「みんなで一緒に作っていきましょう」という考え方ですね。ただ、それは僕だけではなく、現代の若い指揮者はそういう考えの人が多いのではないでしょうか。独裁的にふるまうカリスマ指揮者がもてはやされた時代もあったと思いますが、今の社会には合わなくなってきているのかもしれません。

 

── そもそも、なぜ独裁的な指揮者が支持された時代があったのでしょうか?

 

川瀬:一つはバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの頃よりもオーケストラが大きな編成になり、より統率力のある指揮者が求められるようになったからではないかと思います。大きな組織を一つの方向性に向かわせるためにも、ある程度は独裁的なやり方がよしとされたのでしょう。

あとは、やはり社会的な背景も影響していると思います。指揮者という役割が生まれ、カリスマ的にもてはやされた時代には、ヒトラーをはじめとする独裁的な指導者が台頭していました。オーケストラは社会の縮図なので、そういう時代の空気感みたいなものが反映される。ですから、社会が独裁的なものを受け入れなくなれば、同じくオーケストラも民主的であることが求められるのだと思います。

 

── 民主的な社会では、指揮者も聞く耳を持ち、演奏家たちに寄り添う必要があると。

 

川瀬:もちろん、指揮者は演奏家たちに方向性を示し、まとめていく必要があるわけですから、ある程度の「我の強さ」はあった方がいいと思います。全員の意見を取り入れるわけにはいかないし、最終的に決めるのは指揮者ですから。ただ、やり方ですよね。プロオケに入る演奏家はみんなエリートですし、若手の僕からしたら百戦錬磨の先輩たちばかり。「指揮者」と「オーケストラ」という壁を作るのではなく、自分もオーケストラのメンバーの一人として対話する姿勢を持っておく必要がある。その上で、どこまで聞くか、どこを譲り合うかを適切に判断できるのがいい指揮者なんだと思います。

指揮者・川瀬賢太郎さん

スコアリーディング以上に大事な「エアリーディング」


── 川瀬さんは大学在学中に東京国際音楽コンクール(指揮)の最高位に入賞し、その半年後には23歳の若さでプロのオーケストラを指揮しています。学生がいきなりプロの演奏家たちの前でタクトを振るということで、それこそ相当に気を使われたのではないですか?

 

川瀬:それはもう(笑)。オーケストラ自体、大学時代は7回しか振れなかったのに、いきなりプロの演奏家たちを前にリハーサルと本番をやらないといけない。教習所でやっとS字クランクを習ったくらいの段階で、突然首都高速のバイパスに放り込まれるようなものですよね。いかに死なずに生還するか……、無我夢中でした。

 

── 初めてのプロオケはどんな雰囲気でしたか?

 

川瀬:やはり厳しい視線は感じましたよ。それ以前に、リハーサル会場に入っても僕が指揮者だって気付いてもらえない。「今日のマエストロは川瀬賢太郎さんです」って紹介されても、「えっ?」みたいな。最初の顔合わせではどのオーケストラに行ってもそんなリアクションでしたし、「こんな若いのに何が振れるんだ。こっちは何年もやってるんだよ」といった雰囲気はあったと思います。

 

── それは……23歳の青年にとってはしんどい状況ですね。どう切り抜けたんでしょうか?

 

川瀬:もう、とにかく必死で空気を読みました。指揮者ってスコアリーディングも大事ですけど、空気を読む「エアリーディング」も同じくらい必要なことだと思うんです。今日は皆さん疲れているなとか、あの人機嫌悪いな、今日の稽古は早めに切り上げた方がいいなとか、そういうことは敏感に察知するようにしていました。

 

── でも、空気を読んで遠慮ばかりしていると、稽古が進まないような……?

 

川瀬:そう、ですから時には「空気を読んだ上で、空気を読めないフリをする」というのが大事になってきます。みんな疲れているけど、今日のうちにここまで進めておかないといけない。そういう時は、空気が重くてもあえてそれに気付かないフリをして頑張ってもらう。内心はめちゃくちゃ気を使っているんですけどね。そういうのって、自然と態度に出るし、ちゃんと伝わると思うんです。演奏家のみなさんは感性が鋭いので、「若いのに気を使ってくれているんだな」と感じ取ってくれるようになる。すると、そのうち助けてくれる人が増えて、「怖い顔してる人がいてごめんな。でも遠慮なくやってくれていいんだよ」なんて温かい言葉を掛けてくださるようになるんです。

指揮者・川瀬賢太郎さん


── 空気を読んだ上で読めないフリをする……。1回の稽古だけで、とてつもない気苦労がありそうです。

 

川瀬:気苦労は……ありますね。指揮者とオーケストラの信頼関係って、本当にわずかな細い一本の糸でかろうじてつながっているだけの脆いものだと思うんです。常任といっても、ずっとオケに張り付いているわけではありませんからね。いくら稽古でいい雰囲気を作っても、僕が離れている間にいろいろなことが起こって、溝ができてしまうこともある。だからこそ、同じ空間を共有する時には最大限に気を使って、大事に、大事に、細い信頼を紡ぐことに命を懸けているわけです。正直、大変ですよ。だから来世は多分、指揮者やらないと思います(笑)。

ともあれ、なぜそこまでできるかというと、本番までの99%の道のりが苦しかったとしても、本番の残り1%で全てひっくり返るから。本番でいい演奏をすることは、全ての苦しみに勝る喜びなんです。

── 今も稽古では、明るく楽しい雰囲気作りを心掛けているのでしょうか?

 

川瀬:そうですね。楽しく、というと遊びのように聞こえてしまうかもしれませんが、稽古は常にポジティブな空気の中でやりたいと思っています。コンサート前のリハーサルって1日4時間くらいやるんですよ。ある意味、演奏家たちの4時間を「奪う」わけですから、せっかくなら少しでもいい時間にしたい。稽古といえども、楽しんでもらいたいんですよね。

 

── とはいえ、何度も同じミスが繰り返されるなど、時には厳しく指摘しなければならない局面もあるのでは?

 

川瀬:厳しめに言うことも、たまにはありますよ。でも、感情的にブチギレたりすることはありません。意味がないから。僕がキレてリハ室から出て行って、演奏がよくなることは絶対にありえない。だから僕が厳しく言ったり怒ったようなそぶりを見せるとしたら、それが最も効果的な手段だと思える時だけです。あざといかもしれませんが、空気を読めない馬鹿を演じるのも怒るのも、計算に近い部分はあります。

音に乗せた演奏家の意思を汲み取る


── 指揮者が表現したい音楽と、演奏家の表現方法が食い違うこともあると思います。そうした場合、川瀬さんはどのように同じゴールを目指すのでしょうか?

 

川瀬:それは難しい質問ですが、そこで押さえつけるのではなく、演奏家が長年培った技や表現を邪魔せず委ねることによって音楽が動くときもあります。ですから、ある程度は演奏家独自の表現方法も考慮したいと思っています。ただ、それもやり方が大事で、段階を踏み、適切なアプローチで「僕が目指す表現」と「演奏家の個性」をすり合わせていく必要がある。

 

── それは、どのようなアプローチですか?

 

川瀬:リハが3日間あるとしたら、1日目は指揮者としての「我」を出します。テンポとかニュアンスのこととか、僕が表現したい音楽の方向性をまずは示す。その上で、2日目、3日目に「フルートの人はこう吹きたいのかな?」というのが分かってきたら、少しそっちに譲ってみる。そういう感じのアプローチが多いですかね。最初から譲ってしまうと、後から覆すのは難しいし、反発を招いてしまいます。

 

── そうした演奏家の方の思いを、話し合いながら汲み取っていく感じですか?

 

川瀬:いや、話し合うのは最後の手段ですね。やはりオーケストラは楽器を奏でてなんぼ。ここはもっと強く吹きたい、こんな音色を出したい、演奏家はそういう思いを音で表現します。それなのに、僕がその音を止めてまで口で何かを言うのは、ある意味失礼な行為だし、止めたからにはよほど彼らにとって納得感のある指示じゃないと駄目だと思うんです。それこそ、信頼の糸が切れてしまいますから。

 

── 言葉でないとすると、川瀬さんの意思はどのように伝えるのですか?

 

川瀬:演奏家が音に思いを乗せるように、僕は指揮棒で自分の思いを伝えるわけです。時には指揮棒だけでなくアイコンタクトで、「こうしたい」というメッセージを送る。それが、指揮者とオーケストラにとって最もフェアな関係だと思っています。もちろん、何度かは言葉でコミュニケーションせざるを得ないんですが、極力減らしたい。独裁者の時代ならそれこそ、いちいち音を止めて指図したんでしょうけどね。

 

── それこそ、指揮者の「我」がそのまま音楽になったと。

 

川瀬:ベートーヴェンが楽譜にピアノって書いているのに、指揮者がフォルテにしてしまうとかね。そういう時代もありましたが、演奏家に命令して従わせることには違和感があります。

 

── そういう川瀬さんのやり方を知っている演奏家であれば、仮に音を止めた時でも素直に耳を傾けてくれそうですね。川瀬さんが止めるくらいだから、よほどのことに違いないと。

 

川瀬:だからこそ、そういう時の伝え方や言葉の選び方には気を使います。そこでみんなのハートをつかむ発言ができなかった時は、オーケストラのテンションがスーっと下がっていくのが分かるんです。そうなったら、早めに休憩するようにしています。

 

── ちょっと想像を超えていました。思った以上の心配り、忖度をされているんだなと。

 

川瀬:はい、けっこう大変なんですよ(笑)。

音楽以上に「人が好き」


── 社会には意地悪な人、和を乱す人、面倒くさい人も多くいて、そういう人たちとうまく付き合っていくことを求められる局面もあります。オーケストラも同様だと思いますが、川瀬さんは「厄介な人」に対してどのように接していますか?

 

川瀬:たとえ厄介ごとを持ち込む人がオーケストラにいたとしても、排除することはありません。自分と考えが合わない人でも、だからこそ新しい考え方に触れることができて面白いからです。むしろ、周囲に厄介者扱いされている人ほど僕は興味があるし、話を聞いてみたいと思いますね。

 

── 気に食わない人はブロックしがちなご時世において、どんな人とも心を通わせることができるのは、稀有な資質といえそうです。

 

川瀬:ただ、僕も昔からそうだったわけではなりません。きっかけは大学時代。自分で自分をカウンセリングして、とことん内面を掘り下げたんですよ。おかげで自分のことがよく分かるようになったし、同時に表面的なものを見て他人を判断することもなくなりました。その代わり、ものすごく暗~い4年間でしたけどね(笑)。それがなかったら、もっとクールに好き嫌いで人を仕分けする性格になっていたかもしれません。

 

── それが結果的に、今の川瀬さんの大きな武器になっているように感じます。演奏家の心情を推し量り、配慮する上では川瀬さんのように「人に興味を持つこと」が必要不可欠なのだなと。

 

川瀬:そうですね。僕が音楽より唯一好きなものって、人間なんですよ。指揮者って、基本的に人が好きじゃないとやっていけない仕事だと思うんです。僕たち音楽家が神様のように崇めているバッハやベートーヴェンだって、人間だったわけですし。人が作った曲を人が指揮して、人が演奏して人が聞くわけですからね。そこにはやはり人間同士のリスペクトがないと、成り立たない。誰かと何かをする以上は、その人を大事にする。それは、決して忘れてはならない原則だと思います。

 

取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな 撮影:森カズシゲ
 

取材協力:川瀬賢太郎

 

川瀬賢太郎

1984年東京生まれ。2007年東京音楽大学音楽学部音楽学科作曲指揮専攻(指揮)を卒業。2010年東京フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団の定期公演にそれぞれデビューを果たす。現在、名古屋フィルハーモニー交響楽団指揮者、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者、八王子ユースオーケストラ音楽監督、三重県いなべ市親善大使。2018年9月よりオーケストラ・アンサンブル金沢常任客演指揮者に就任。2015年渡邉暁雄音楽基金音楽賞、第64回神奈川文化賞未来賞、2016年第14回齋藤秀雄メモリアル基金賞、第26回出光音楽賞、第65回横浜文化賞文化・芸術奨励賞を受賞。東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)特任講師。

 

 

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