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「文化としての速記符号を残したい」速記者・保坂正春さん |クレイジーワーカーの世界

「文化としての速記符号を残したい」速記者・保坂正春さん |クレイジーワーカーの世界

「自分の仕事が好き」。心からそう言いきれる人は、どれくらいいるのだろうか? 単に賃金を得るための手段ではなく、人生を賭するライフワークとして仕事に打ち込む。結果、一般的な幸せやレールから外れることになっても、おかまいなしに没頭し続ける。そんな、少しはみだした「クレイジーワーカー」の仕事、人生に迫る連載企画。今回お話を伺ったのは、速記者の保坂正春さんだ。

簡略化した文字や符号を用いて音声を素早く書き取り、会議での発言や記者会見の内容を正確に記録する速記者。国会中継で、発言を記録する速記者の姿を目にしたことがある人も多いだろう。保坂さんはこの道の大ベテランで、現在は速記会社の代表、日本速記協会の理事長も務めている。速記という技術をひたすらに磨いてきた、その仕事人生に迫る。

速記者のスゴ技を見よ!

まずは、こちらの動画をご覧いただきたい。

保坂さんの会社で作成した、速記のパフォーマンス動画だ。国会での演説をほぼリアルタイムで書きとり、一言一句、正確に記録する様子が見て取れる。YouTubeに投稿するや評判を呼び、再生回数は45万回を超えた(2018年8月22日時点)。

保坂さん(以下、敬称略):今は音声認識で発言を文字に自動変換する技術も発達していますし、速記は時代遅れと思われているかもしれません。確かに、仕事で速記符号を使う場面は減りましたが、速記のスキルはビジネスや日常生活でも役立ちます。電話のメモや会議の議事録、打ち合わせの要点整理など。これからはそういう形で、このスキルを伝え続けていきたい。私自身、速記のおかげで楽しい経験をたくさんさせてもらいましたので、恩返しのような気持ちですね。

40年にわたり、速記者という仕事一筋に向き合ってきた保坂さん。速記にかける思いを、存分に語っていただいた。

ヒリヒリするほど刺激的な、速記者の仕事

── 保坂さんは20代前半で速記者になられたとのことですが、学生時代から速記の仕事に興味があったのでしょうか?

保坂:いえ、私は長男なので、大学を卒業したら地元の役所に入れればいいなと考えていました。ところが、途中でその道を踏み外してしまって、路頭に迷っていた時期があったんです。そこで、まずは手に職をつけようと考えた時に、そういえば速記っていうのがあったなと。当時は速記学校の募集広告もよく目にしていましたし、私自身も学生時代から国語が好きで、言葉に関する仕事は楽しそうだと思って専門学校に入学しました。

── 速記者を志した当初は、どんなキャリアを思い描いていましたか?

保坂:当初は、やるんだったらやはり国会の速記者だろうと。速記者として、それが一番のステータスだと思っていましたから。でも、衆議院も参議院も独自の養成所で速記者を育てていて、私のように民間の速記学校で学んだ者は、改めて試験をパスしなければ国会で働くことはできません。私はその時点で受験資格の年齢制限で引っ掛かってしまい、諦めるしかなかった。そこで、専門学校が収益事業としてやっていた早稲田速記に拾っていただき、民間の速記者として勤めてきました。

── それから40年も続けてこられたと。よほど適性があったんでしょうね。

保坂:そうですね、仕事は楽しかったです。民間の速記者には、さまざまなジャンルの仕事に携われる面白さがありました。

── 例えば、どんな仕事が印象に残っていますか?

保坂:特に印象深いのは、私が27歳の頃、いわゆる「ロス疑惑」の渦中にあった三浦和義氏の公判を記録する仕事ですね。テレビ局からの依頼で、裁判当日の15時のワイドショーで使うから公判の内容を速記してほしいと。当時すでにレコーダーは使っていましたが、法廷は録音が一切できず、速記一本でいくしかない。緊張感がありましたし、時間の制限もある。公判内容を速記し、裁判所の報道ルームですぐ原稿にまとめて、原稿用紙5~6枚が溜まると即バイク便でテレビ局に送る。真剣勝負の速記という感じでしたね。

── それは、しびれますね。

保坂:やり直しがききませんからね。証言者の声が小さくて聞き取れなかったりして、ドキドキしました。その後、再現ドラマになってしっかり放送されたので安心しましたけどね。あとは、政府関係の記者会見の記録を短時間で作成するという仕事もやっていました。何か事件が起きて会見が開かれるたび、休日でも夜でもお構いなしに連絡がきましたよ。世の中で起こっている事象を最前線でキャッチしているような、そんな興奮がありました。

速記者に求められるスキルとは?

── 国会での様子から、失礼ながら地味な作業というイメージを持っていたのですが、かなり刺激的なお仕事なんですね。

保坂:まあ、でも基本的には地味ですよ。私たちは縁の下の力持ちというか、陰で支える黒子なので。2時間くらいの会議を一人でひたすら速記するような仕事もあって、根気のいる作業です。速記者に向いているのは、我慢強い人、几帳面な人、コツコツと努力できる人だと思います。

── 2時間はしんどいですね……。一言一句漏らせないような会議だと、ずっと集中していないといけないですし。

保坂:そうですね。中には滑舌が悪い人、早口の人、はっきり発音しない人もいますからね。そういう人が多い会議だと、結構疲れます。それから、専門性が高い会議の場合は、聞き慣れない業界用語もどんどん出てきます。医学系や経済系、法律系など、そういう仕事に臨む際は、あらかじめ業界のことを勉強して言葉をインプットしたり、あとから調べて間違いのないようにまとめたりする必要がありますね。

── 渡す相手は専門家なので、業界用語に多少の間違いがあっても理解してもらえると思うのですが、意味が通じればいいという問題ではないと。

保坂:分からない言葉もあると思うので、ラフな感じでまとめてくれればいいですよとおっしゃってくださるお客さんもいるのですが、職業柄なのか、どうしても正確性を追求したくなってしまうんです。過剰サービスだったとしても、どうしても正しい言葉で伝えないと納得できないですね。

── 保坂さんは速記資格の最上位である1級を、専門学校入学からわずか1年半で取得されています。かなりのトレーニングを積まれたんじゃないですか?

保坂:とにかく毎日繰り返し訓練すること、これに尽きます。耳で聞いた瞬間に手が反応するくらいまで鍛えていかないといけない。ピアノと一緒で、毎日少しずつでもやらないとスキルが落ちてしまうんです。学校が用意してくれる教材以外にも、自分でテープに吹き込んだ新聞の社説を使ってトレーニングしたり、街の音に耳を澄ませて脳内で符号に変換したり、そんなこともやっていました。

── まさに、コツコツと努力を重ねてきたわけですね。

保坂:速記は、新しい言語を習得するのと同じくらいの労力が必要ですから。ひらがな50音それぞれに異なる符号があって、1級レベルになると複数の音をまとめて簡略化した符号だったり、よく使う単語をシンプルに書き表した符号も覚えたりしないといけない。例えば「日本」という言葉だったら、我々は二本の線だけで表現します。できるだけシンプルな符号をいかに多くマスターしているかで、スピードが大きく変わってくる。それはもう、うんざりするほど書き続けて頭と体に叩き込んでいくしかありません。

── 加えて、時代とともに新しい言葉が増えていくので、その都度自分で省略形を編み出していくことも必要ですよね。

保坂:はい。例えば最近の経済用語で「FinTech(フィンテック)」ってありますけど、そんな符号はないわけです。だから自分なりに工夫し、省略して書いたりはします。実践のなかでスキルを磨き、日々アップデートして対応していくことが大事ですね。

線が二本で「日本」、「〇」を小さく書いて「困る(小丸)」など、ダジャレ的な符号もある。速記はできるかぎり無駄を省き、簡略化していくかが重要だ

踏み込めば踏み込むほど、仕事は面白くなる

── 速記自体は素晴らしいスキルだと思います。ただ、一方で今は会議の発言をそのままパソコンで入力したり、音声認識で文字に自動変換したりする技術も進化しています。今後、速記者という仕事自体が消滅してしまう可能性については、どうお考えですか?

保坂:もちろん危機感はあります。実際、海外ではもうほとんど速記の符号は使っていないようです。ただ、速記者の仕事が完全にこの世から消えてしまうことはないと思います。そもそも録音機が出てきた時も、これからは速記者なんかいらないと言われました。でも、実際には仕事が増えた。録音した音声を文字に起こすのは思いのほか時間がかかるから、結局はプロに依頼するわけですよ。音声認識だって変換間違いが多いし、精度はそう高くない。正確性も含めた総合的な速記のレベルは、機械よりも1級の速記者の方がまだまだ上だと思います。機械に勝つには、人間ならではの精度の高い仕事で付加価値をつけていく必要があるんじゃないでしょうか。

── 付加価値、具体的にはどんなことですか?

保坂:まずはミスをなくすこと。それから意味が分かりづらい話し言葉や、重複している表現などを精査し、読みやすく整文することもそうです。もちろん、議会の議事録などありのままを記録することが求められるケースもありますが、そうでなければ受け取る方が少しでも理解しやすい形に文章を磨き上げることも必要なのではないかと考えています。それは速記者の枠を超えているかもしれませんが、私はそこまでやりたいし、そこまでやった方が面白いと思います。

── 受け取る人にとっても、自分の発言が正確に、かつ分かりやすくまとまっていたら嬉しいですもんね。

保坂:そうなんですよ。速記なんてただの書き起こしだから誰がやっても同じだと思われがちなんですが、決してそんなことはない。自分がどこまでやり切るかで、いかようにも差別化できます。どんな職種でもそうですが、仕事ってそういう気構えがないとつまらないと思うんです。言われたままをやるんじゃなくて、そこから自分なりにもう一歩踏み込んでみる。それを積み重ねるほど、どんどん面白くなっていくと思います。

大好きな速記を残していきたい

── 仕事としてもそうですが、速記符号は文化として残していく意義もあるように感じます。

保坂:その通りですね。ただ残念なことに、速記符号を専門的に学べる機会はどんどん減っています。平成18年(2006年)には衆参両院の速記者養成所が廃止され、早稲田速記の系列である専門学校でも、民間で唯一だった符号のカリキュラムを昨年でやめてしまいました。今、国内で符号を教える専門機関はありません。

── それは……危機的状況ですね。

保坂:もはや専門職として速記でガンガン稼げる時代ではありませんから、致し方ないことかもしれません。ただ、私としてはやはり符号を残していきたい。ですから、さまざまなアプローチで、速記に興味を持ってもらえるよう頑張っているところです。動画のパフォーマンスもその一つですし、「らく文字」といって、日常生活のメモや子どもの暗号遊びなどにも使える簡単な講座も始めています。もはや、苦労して符号を学ぶ時代ではありませんので、もっと気楽に速記に親しんでもらえたらと思っています。

── 保坂さんは本当に速記が好きなんですね。

保坂:よく言われます(笑)。だって楽しいんですよ、速記って。多くの人にその楽しさを広めたいし、その中から速記を自分の仕事に生かす人や次世代の速記者が生まれたら、こんなに嬉しいことはないですね。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな編集部 撮影:松倉広治

取材協力:保坂正春

速記士。専門学校を経て早稲田速記株式会社へ。地方自治体の議会の会議録をはじめ、医学関係の会合、講演会、座談会、著名人のインタビューなど、幅広い領域で活躍。 早稲田速記株式会社代表取締役社長。公益社団法人日本速記協会理事長。

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