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とある映画館職員から、これから働く君へ(寄稿:立川シネマシティ 遠山武志)

とある映画館職員から、これから働く君へ(寄稿:立川シネマシティ 遠山武志)

 

拝啓、これから働く君へ。

 

 

この文章はそこそこ長い。だから倒叙(とうじょ)ミステリーのように、先にたどり着く結論を言ってしまおう。

 

 

君が思っているよりもずっと、やりたいことを仕事にすることはできる。

 

 

理由は簡単。まだ君は、仕事と呼ばれるものの範囲の広さと多様さと自由を知らないから。この結論に向かって、なるべく退屈にさせないよう、僕があがいてきた日々とともに、この文章は疾走していく。

 

 

映画や音楽好き、あるいはミュージカルやアニメのオタクなら、映画館「立川シネマシティ」の名前を小耳に挟んだことくらいはあるかもしれない。

 

 

【極上音響上映】とか【極上爆音上映】とか、「宣伝メールが怪文書だ」とか、「ポップコーンがマズい」とか、「ホットドッグはウマい」とか良い評判から悪い評判まで、検索すれば思いのほかたくさんの結果が見られるはずだ。僕はそこの企画担当、遠山武志。

 

 

たくさんの愛してくれる人と、大嫌いな人がいる、とにかくも何か言いたくなる映画館、それがシネマシティだ。

 

 

1997年7月12日(土)、大学生の僕はアルバイトとしてシネマシティに入社した。なぜはっきり日付まで覚えているかというと、その日は『もののけ姫』の公開日だったから。しかもさらに『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』、通称『夏エヴァ』と呼ばれる、エヴァ旧劇の先行上映もあった。

 

 

チケット売り場前は、とてつもない大行列。だってネットでチケットが買えるようになるのは、それから数年先だから。

 

 

今思えば、日本映画史の流れが変わったような日に、僕は入社した。並び立つ2作のポスターに書かれた言葉を前に、呆然としたことを覚えている。

 

 

もののけ姫「生きろ。」

 

 

エヴァ「みんな死んでしまえばいいのに」

 

 

人生を賭けることになった仕事を始めるって日に、まったくふさわしいだろ?
 

 

なりたかったもの? 小説家とか、映画監督とか


その頃の僕は映画を作りたかった。文章を書くのが好きだったから、まずはシナリオのライティングから勉強しようと、青山にあるスクールに通った。

 

まだまだテレビが元気だった時代ということもあって、他の生徒たちのほとんどが日常ドラマを書いてきていた。そんな中で僕は19世紀ロンドンを舞台にしたピアニスト兼殺人鬼の恋物語とか、リビアの兵士が、焼け地に取り残された瀕死の幼子を安らかにするために撃つか撃たぬか逡巡(しゅんじゅん)するサイレント・ムービーとか、当たり障りのあるものばかりを提出していた。こんなものが日本のテレビや映画で本当に売れると思っているのか、と講師から至極真っ当なご指摘をいただき、白目を剥いたのだった。

 

思えば映画を作りたい、と考えたのは大学に入ってからだった。

 

僕が中学、高校の時は、レンタルビデオ店隆盛のあおりをくらって、映画業界は底のような状況だった。住んでいた町には映画館がなく、一番近くでも電車で1時間近くかかったので、たくさんの映画を劇場で観ることは叶わなかった。

 

そんな田舎でも、図書館や大きな本屋には不足しなかった。古典文学はもちろん、ふう変わりな奇書だって、本ならば読みたいものは大抵読むことができた。

 

純文学と哲学にずっぽりハマり、授業中も先生の話は一切聞かずに本ばかり読んでいた僕は、いつか小説家になりたいと考えていた。だが、上京してあきれるほど映画館があることに目まいがして、狂ったように映画を観るようになった。

 

バイトをしまくっては、そのお金を映画につぎこんだ。なにしろ大学1年時の総取得単位数が「2」という奇跡を起こしたくらいだ。

 

そうして気が付くと映画を作りたいと思うようになってきた。なんという浅はかさだろう。理由はその時ハマっていたから、というだけ。小説家を目指した時もそう。

 

10代、20代前半の若者の視野はあまりに狭い。

 

単純に、映画は映画監督が作るものだと思っていた。映画を作る、ということの意味すら、本当は分かっていなかったのだ。

 

それでもすぐに就活が始まり、知識も経験も足りないままに「やりたい(気がする)こと」の選択を迫られる。面接とかがうまくいかなくて、絶望的な気持ちにさせられたりする。そもそもやらせてくれないじゃないか、と怒りにとらわれてしまう。

 

だから「やりたいこと」を、職種に設定するのはやめた方がいい。

 

「やりたいこと」を、職種に設定するのでなく、もっと抽象度が高く、明確な輪郭をもたないものにする方がいい。

 

職種は「やれること」をある程度規定する。具体的な職に就き、そこで知識や技術を培い、経験を積むことは重要。だから慎重に選ぶ必要はある。でも手に入れたそれらをどう使うかは、ある程度自由が利く。

 

就活をしていたある日、僕はある噂を耳にする。

 

「立川にもうひとつ新たに映画館が建つらしい」
 

思いもよらない機会と直面


新しい映画館!

 

シネマシティは1994年に6つのスクリーンを持つシネコンとしてオープンした。音響にこだわりまくり、THXシアターもかなり早い段階で導入。そのため『スター・ウォーズ《特別編》』の公開時には日本全国からファンが集まった。

 

やがてその数年後、シネコンという業態はブームと呼ばれるほどに、一気に全国的に増加していく。その流れを受けて、シネマシティでは立川に別の映画館が進出してくるのを抑制するため、もうひとつ近くに5スクリーンの新館を作ろうという戦略に打って出た。

 

このプロジェクトに、僕は熱くなった。映画を作ることと、映画館を作ること。映画ファンの夢の中でより実現できる希少度が高いのはどっちだ!?

 

しかもチェーンではなく、まったく新しい映画館をゼロから作ることができる。こんな機会、そうそうない。

 

映画なら日本だけでも年に500本も600本も作られているじゃないか。だからたぶん後からでもなんとかなるんじゃないだろうか……知らないけど。

 

で、僕はこの話に、賭けることにした。

 

……いや「賭けることにした」とかカッコつけてみたけど、その時の僕はただの大学生バイト。ポップコーン売ったり、掃除したり、チケットをもぎったりするだけの、100人近くもいる中のワン・オブ・ゼム。とてもそんなビッグプロジェクトに関わらせてもらうことなんかできそうもない。

 

だけど、これから書くことは本当に、本当に重要なことだから、覚えておいてほしい。これは今や僕がすっかりいい大人になったから、自信を持って断言できる。

 

どうしてもやりたい、なにがなんでもやりたい、とにかくやらせてほしい、という熱情ある若者の頼みを断ることなんてない、と。

 

その時の僕は、知る由もなかったけど。

 

アイツやソイツよりもずっとデキる、でも「報酬次第じゃないですかね」、とかクールに構えているヤツより、多少ダメでも熱情あるヤツと一緒に仕事したいに決まっている。

 

先に報酬を要求する人間は、その仕事自体が報酬である人間に敗北するんだ。

 

僕は全然優秀なバイトなんかじゃなかった。それまで僕のバイトでのニックネームと言えば、「万年新人/給料泥棒」だった。なにしろ勤務中も、ヒマなポジションに振ってくれとお願いし、シナリオを書いているという稀にみる最低の勤務態度だったから(笑)。

 

でもモードを変えた。

 

実は内定ももらっていたけど、それどころじゃなかった。なにしろ新しい映画館を作ることができるのだ。

 

……いや、まだ誰にも頼まれてもないし、やらせてくれるなんて一言も言われてなかったけど、こんな最高なことに関わらせてもらえるなら、こちらからお金を払うレベルだ。誰もやらないこと、やりたがらないことを見つけて、それをやっちゃえばいい。それだったら絶対やらせないなんて、言われるはずない。

 

チャンスは意外に早く訪れた。

 

新館の売店は、これまでの映画館にはないものを作ろうとなったため、その準備を兼ねた実験店舗的な感じで映画館の建物内でカフェをオープンさせることになったのだ。

 

飲食店でのアルバイト経験があり、珈琲が好きで、有名な豆屋さんや喫茶店をたくさん回っていた僕は、うまい珈琲を淹れることができたし、味もある程度分かっていた。趣味が活きた。こんなの、僕がやるしかないじゃん。

 

オペレーション組み、メニュー決め、レシピ開発、ポスターやチラシのデザイン、椅子やテーブルの配置、さまざまな業者との交渉……とにかくありとあらゆることをやらせてもらった。

 

そのために、どんどん勉強していった。数え切れないほどのお店を回り、本を読み、展示会に出かけ、IllustratorやPhotoshopの使い方も学んだ。

 

あまり大きな声では言えないけれど、映画館バイトとしての仕事はそのままあったから、それを終えて、タイムカードを切ってからの方がもっと働いた。

 

そしてカフェのことをやりつつ、少しずつ工事が進んでいく、骨組みだけの建築物の中を探索しながら、映画館の方の準備も勝手に始めていった。

 

やがて僕よりも新しい映画館のすべてについて把握している人間はいなくなった。結果、シネマシティで初めて、アルバイトから社員になってくれ、と向こうから頼まれた。

 

その日々の、どれほど幸福だったことか!
 

「やりたいこと」は、職種じゃない


僕は途中で気づいてしまったのだ。カフェを作り、運営していくことも、映画館のさまざまなオペレーションを組むことも、「これ、映画を作るのと一緒だ」って。

 

僕が学んでいたシナリオを書くこと、つまりテーマ設定、素材の収集、物語構成、台詞の磨き上げなどの方法論が、ほとんど全部の仕事でそのまま使えた。

 

そしてそのことで、ずっと重要なことにも気づくことができた。

 

僕が「やりたいこと」って、人を笑わせたり、グっとさせたり、うっとりさせたり、感心させたり、ドキドキさせたり、びっくりさせたり、そういうことなんだって。それを小説でやるか、シナリオでやるか、カフェでやるか、映画館でやるかの些細な具体的手段の違いだけで、突き動かす動機は、その動力源を同じとするのだと。

 

だから、笑われたり、怒られたりするのを前提で言い切るけど、シネマシティとは、僕が作り続ける、1巻の小説である。1枚の絵画である。1本の映画である。

 

それから20年近く、僕は今もなお映画館に居座り続けている。映画はまだ作っていない。

 

つまり、ここまで書いてきたことは結局、挫折者の、必死の自己憐憫(れんびん)、自己擁護のみっともない言い訳なんだろうか?

 

……それは、否定しきれない。人は、呼吸を止められないのと同じように、自分を庇うことを止められない。
 

職種は直接関係なくても、やりたいことは同じ


だから僕だけでなく、僕の周りの人のことも書こうと思う。

 

まず、シネマシティのWebから窓口業務まであらゆるシステムの開発・管理をお願いしている会社の人について。メンバー全員が映画やアニメや音楽に一般人のレベルを遙かに超えて詳しいというユニークなメンツだ。

 

だからエンタテイメントとはなにか、ファンが求めるものがなにか、を身体で理解している。僕の突拍子もない発想も、即座に理解して、具体的な回答をよりブラッシュアップして返してくれる。

 

音楽関連のイベントも手伝ってもらっていて、機材の手配から、出演者への交渉まで、これまで何度助けてもらったか分からない。システムだけでなく、マーケティングについても、僕はよく彼らに相談する。もはやシネマシティ運営の重要人物としてシステムに留まらず参画してもらっている。

 

彼らの職業は、システムエンジニアとかプログラマーということになる。そして、その分野で仕事をお願いしていることには間違いがないのだけれど、彼らはとてもよく調査もしているし、同時にお客さんとしても楽しんでいるので、大抵の映画館スタッフよりも映画館についてずっと詳しい。職業としての知識と技能を持ちながら、それを自分の好きな分野で存分に発揮しているというわけだ。

 

そして、もうひとり。シネマシティのクレジット決済代行およびイベントチケット販売代行をお願いしている会社の担当者は、特撮界隈では有名な「ロボ石丸」氏。彼はロボットや怪獣や昭和のアニメやなんかにやたらと詳しく、自身でさまざまなイベントの主催もしている。

 

時折僕のところに、マニアックな上映イベントの企画書を持ち込み、自身の会社やシネマシティの名前を使って、制作会社や有名人に自ら交渉に行っては実現にこぎつけている。自分の会社でそのチケットを売ることでギリギリ仕事の体を保っているという奇才(笑)。

 

何を差し置いても、こういう熱量を持った人間と仕事をしたいに決まっている。好きなもののディテールは異なっても、自分と同じものを愛している人たちを楽しませたい、というマインドはまったく同じ。

 

だから彼のところに、クレジット決済代行会社を乗り換えた。彼はシネマシティの数億円の売り上げを獲得したわけだ。
 

思っているよりもやりたいことを仕事にすることはできる、だがしかし


こんなふうな働き方もあるなんて、これから働く君は、知るはずもないだろう。でも何かの仕事に就いてから、まったく関係ない分野の仕事に関わるようになることは、実はそれほど珍しくない。

 

だから、好きなものは好き、やりたいことはやりたい、とできるだけ大きな声で言い続けろ。

 

2009年にマイケル・ジャクソンのドキュメンタリー『THIS IS IT』の公開が決まった時、小学生からずっとファンで、東京ドームでのライブにも行っていた僕は「自分の番が回ってきた」という予感にとりつかれた。

 

諦めていたはずの音楽の仕事ができるかもしれない。今度はマイケルのために、僕がなにかをする番だと思った。

 

会社の誰もが僕が大ファンであることを知っていた。だから社長から誰から、みんながサポートしてくれた。僕はただ音楽を、マイケルの歌を、つまり本質こそを、最高のクオリティでファンに届けたいと思った。小手先の工夫じゃなく。

 

そのため、一流の音響専門家に依頼して、ライブで使用するのと同じように、つまみのたくさんついた調整卓で音響調整をしてもらった。こんなことは映画館では前代未聞だった。でも自分でバンドもやっていた僕からしたら、普通のことだった。

 

この上映方式は驚くべき熱狂で迎えられ、再びシネマシティには全国からファンが集まるようになる。

 

会員のお客さまへの宣伝告知メールは、アルバイトの頃から書かせてもらっていた。僕が文章を書くのが好きなのは、誰もが知っていたから。

 

長く続けているうちに、たくさんの人の目に触れ、ネットで拡散されるようにもなった。何かをただお知らせするだけでなく、僕のやりたいことは人を楽しませることだから、映画の告知とは全然関係ないようなことや、物語仕立てにしたものや、バカバカしさで笑わせるようなもの、激情をすべてぶつけるようなものも書いてきた。

 

そして今ではコラム連載が2本、また今回のように原稿依頼も時折いただけるようになった。小説こそ書けてないけど。

 

映画館の一社員ながら、音楽の仕事を、文章書きを、ポスターなんかのデザインを、他にもいろいろ、やることができたわけだ。

 

君が思っているよりもずっと、やりたいことを仕事にすることはできる。

 

ようやく、ここにたどり着いた。思いもよらない場所から、行けると思っていなかった場所に、たどり着けてしまうことは、ある。

 

だがこう書いている、僕の中途半端な気分といったらどうだろう。僕がやってきたことなんかが、本当に音楽の仕事だなんて言えるのか? シネマシティの名前がなかったら、僕の文章なんて誰も読まない。我が物顔でシネマティを語ってはみても、僕は平社員のひとりにすぎない。

 

何かを達成したとしても、達成したという思いは、刹那に消え去ってしまう。それなのに不安と焦燥だけは、ずっと長い間続く。今も。

 

だから、これから働く君へ。

 

「やりたいこと」はできるだけ抽象度をあげて、輪郭を持たないものにするべきだ。
対象を広く持てば、やり口も増える。

 

そして、これからも働く僕へ。

 

まだ、こんなものじゃないはずだろ。映画館は、もっと面白くなれる。
 

著者:遠山武志

 

立川シネマシティの企画室長。【極上音響上映】や【極上爆音上映】を企画し、多くの映画ファンを熱狂させ、大ヒットを記録。企画だけではなく、立川シネマシティのメルマガ作成やWebページやポスターのデザインなどの広報活動、券売機やWeb予約などチケッティングシステムの開発も携わる。Realsoundにてコラムを連載中。
立川シネマシティ:立川の映画館 シネマ・ワン&シネマ・ツー|シネマシティ
コラム : Realsound

 

 


編集:はてな編集部

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