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働く女性の「キャリア観」って、こんなに時代によって違うの? 平成生まれが往年のOLマンガを読んで考えた|至高の無駄知識(寄稿:三宅香帆)

働く女性の「キャリア観」って、こんなに時代によって違うの? 平成生まれが往年のOLマンガを読んで考えた|至高の無駄知識(寄稿:三宅香帆)

利益を追い続ける社会の中では、有益なものに時間を費やすことが正しく、利益に直結しないものは無駄であると言われがちである。しかし、一見すると「無駄」と言われてしまうものの中に、実は新しい発見や有益となり得る知識が存在するのではないだろうか。

多くの人が通り過ぎてしまう無駄知識の中に希少な価値を見出し、その分野を極めし方々に、人生を豊かにする「無駄知識」を紹介してもらう連載企画「至高の無駄知識」。今回は、会社員の傍ら、文筆家・書評家として活動する三宅香帆さんに、1980年代から2010年代の代表的な「OLマンガ」を読んでもらい、そこから見えた「働く女性のキャリア観の変化」をテーマに執筆いただいた。

一生「OL」でいることはマジョリティー?


「OL(オフィス・レディー)」という言葉が生まれたのは、1964年の東京五輪がきっかけだったらしい。*1それまで「BG(ビジネス・ガール)」と呼ばれていた一般事務職として勤務する職場の女性たちは、「BGが外国語だと売春婦という意味らしい!」というショックのもと、「OL」という呼び名に変わったのだとか。いやー確かに私たちがなんとなくノリでつけた横文字のあだ名が、外国語だと「エッ」と驚くような意味になってしまうので慌ててやめることって、今も昔も往々にして存在するよね。しかし「BGの代替語を考えよう!」と『女性自身』(今も昔もさんぜんと輝く女性週刊誌)がなんと公募して生まれたのが「OL」という言葉だったわけで、公募といういかにも日本人らしい真面目な代替語提案の方法に笑ってしまうけれど、実際そこで生まれた「OL」という言葉は、今現在に至るまで使用されているんだから、なかなかしぶといものである。しかも今や「OL」は事務職に限らず、総合職の女性のことも指す言葉になっている。

 

まさか、「OL」という言葉が東京で2度目の五輪が開催される時代になってもなお使われているなんて、当時の『女性自身』は考えたことがあっただろうか。

 

しかし現実の歩みは遅く、働く女性は今もなおオフィスでレディーをするマイノリティーのような形で語られることが多い。……とは言っても、もはや今となっては大学で就職活動をしない女子学生はなかなか見られないし、女性が1人もいない職場を見つけることの方が難しい。OLがマイノリティーだ、なんて言っては「えっ、そう!?」と眉をしかめる人の方が多数派ではないだろうか。「今は女性も男性も変わらず働く世の中でしょ、もう2回目の東京五輪がやって来るんだし」と返されそうだ。というか私自身そう思っている。働くのに女性も男性も関係ないよ!と。

 

かといって、じゃあ一生「OL」でいることがマジョリティーか、と聞かれると、「ど、どうなんだろう……」と口ごもってしまう自分がいる。一生働き続ける、という選択肢があるのかどうか、自分の未来に聞いてみないと分からない、という苦笑を浮かべるほかない。
 

働く女性の「揺れ続ける心」を表現してきたOLマンガ


「働く」ことについて、女性は悩んでしまう。もちろん男性にだって悩みはあるだろうが、それとは全く別のところで、「働く」ことと「女性」の間には、揺れ続ける亀裂が存在する。男性とは違った、確かな悩みに揺れている。結婚だの妊娠だの育児だの、仕事とは違ったベクトルの、重量をもった人生の選択がそこにあるから。

 

この揺れを、端的に表現したのが、長きにわたって「働く女性」の心を描いている「OLマンガ」とも言うべきジャンルである。職場で働く女性が主人公のマンガを読んでみると、キャリアに対してさまざまな思いを抱いていることが分かる。そしてそれは今の時代だけでなく、昔から徐々に変わってきた「女性のキャリア像」に対する葛藤をしっかりと映している。

 

私は平成生まれの小娘(実はOLの1年生)だけど、歴代の「OLマンガ」を読み、女性のキャリア観がどのように揺れ、そして取り戻され、つかまれてきたのか、じっと見つめてみたい。それはきっと、今の若い世代にも意味のある何かが詰まっているのではないだろうか。
 

『サード・ガール』『るきさん』に見るバブル時代のOLたち~余暇を楽しむ余裕と結婚への葛藤~


令和の時代からOLマンガを読むとき、どこまでさかのぼろうかと考えてみたところ、やっぱりあの世代のことを見たい。そう、「バブル世代」だ。

 

バブル世代のOLマンガとして挙げたいのが、『サード・ガール』(西村しのぶ、1984~88年、小池書院文庫版1~6)、そして『るきさん』(高野文子、1993年、ちくま文庫)。1980年代後半~90年代前半に流行した、この二つのマンガにはくっきりとした違いや揺れが見られる。おそらくこの2作品を知ってる方からすると、「えっ全然違う雰囲気のマンガじゃん、これって同じ世代にまとめていいの?」と困惑されるかもしれない。
 


まずは80年代後半に人気を博した『サード・ガール』の方から。こちらはもう「いかにもバブル!」と言いたくなる、すがすがしいほどにバブルの時代の豊かさをもったマンガである。主人公は女子高生(初登場時は中学生で女子大生にまで成長する)、しかし彼女から見た、「アパレルで働くお姉さん(岸田美也)」がこれでもかと魅力的に描かれている。大学時代には裕福な歯科医と不倫して大量のプレゼントをもらったり、彼女は工学部を出ているにもかかわらず、工学系の会社ではなく、知人の営むアパレルに就職……というキャリアを選んでいたりする。今の時代ではまた違ったキャリアになるのではないかと思う。

 

そして、90年代前半に流行した『るきさん』。こちらは『サード・ガール』とは違い、在宅仕事という働き方を選び、あまりお金をかけずに楽しめる趣味を謳歌する女性像が描かれている。「るきさん」は主人公の名前だが、恋愛よりも女性同士の友人関係の方が重点的に描かれるのがポイントだ。
 

バブリーなおしゃれマンガ『サード・ガール』と、のほほんとした元祖「おひとりさま」マンガ『るきさん』。どちらも形は違えど、彼女たちは働いており、一方でマンガそのものは彼女たちの「余暇」を重点的に描く。消費行動がぐんと盛んになったバブル時代、OLマンガで憧れとされたヒロインは、しっかりと余暇を楽しみつつ、仕事もする、そんな女性だったのだろう。ちなみに平成生まれの私から見ると、「余裕があっていいなー!」という感想しか生まれない。岸田美也も、るきさんも余暇を豊かに楽しむ時間はたっぷりと持っている、大人の女性として描かれている。もちろん実態とは違ったのかもしれないが、それでも今の私たちから見ると、時間もお金も余裕がある時代の産物に見えるのだ。

しかしその一方で、『サード・ガール』の岸田美也は結婚ではなく事実婚という形を選ぶ。るきさんもまた独身というスタイルを貫く。彼女たちは、余裕ある余暇を過ごしているように見えて「結婚」という存在には、微妙に距離をとりつつ見守る。働く女性は、バブルの頃から「結婚」が一つのポイントだったのか……バブルの時代ですらそこには葛藤が存在していたのか……と、ちょっとばかり、バブル時代のOLに共感が生まれた。

『働きマン』『サプリ』に見る平成初期のOLたち~めちゃくちゃ働く女性に幸福は訪れるのか~

2000年代に流行した二つのOLマンガ『働きマン』(安野モヨコ、講談社、2004~08年)と『サプリ』(おかざき真里、祥伝社、2003~09年)を見てみると、「わ~~~働いてる~~~!」という驚きも含んだ表情で読まざるをえない。

出版業界で働く『働きマン』の松方弘子、広告業界で働く『サプリ』の藤井ミナミ。本当に、ふたりともめちゃくちゃ働く。作中、名字で呼ばれることが象徴的だが、男並みに働くことへの葛藤と楽しさを描いたマンガなのである。

働くことは楽しい。苦しい時もあるけれど、やっぱりなにか一つのことを頑張ってしまう。だけど、その先にあるものは、何なんだろう? という迷いも見える。バブル期のマンガとは少し毛色が変わり、余暇を楽しむ余裕もないまま働く女性像、というのがこの二つのOLマンガの特徴である。

しかし平成生まれが見ると、「こんなに働いて、おねえさん、体は大丈夫なの……!?」と心配になってしまう。実際、『サプリ』では自殺してしまう同僚の存在が重く描かれる(体を壊した、という形ではないが)。

キャリアに突き進むのはうらやましい。仕事ができるようになりたい。男性だから女性だからとか、あんまり関係ない。だけどこの先にあるものは、私たちを、幸福にするのだろうか?

そしてやっぱり結婚は遠ざかる。『サプリ』の中に、「今まで優等生だったのに、結婚しない今になってはじめて『問題児』扱いされる、税金だってたくさん納めているのに!」という趣旨のせりふが登場する。――働く女性に、幸福はあるのか? あるとしたら、どのような形で? 漠然とした不安、だけど没頭することへの強さもまた描かれる。

キャリアに悩むとき、この2作品を読むと「働く女性の葛藤の全てがここにあるのか!」と驚く。例えば、働くのは好きでも働き続けた末にプライベートがおざなりになること。求めているものが何なのか分からなくなること。職場で偉くなって自分がどうなりたいのか分からないこと。分からないのは自分のせいなのかもしれない。だけどその先の幸福に正解があるのかといえば、どこにもない、という袋小路があるのもまた事実じゃないか、と私は思う。

『逃げるは恥だが役に立つ』『凪のお暇』に見る平成後期のOLたち~世の中を生きる工夫と選択~

2010年代に流行した(している)二つのOLマンガ――『逃げるは恥だが役に立つ』(海野つなみ、講談社、2012~17年)、『凪のお暇』(コナリミサト、秋田書店、2016年~)を見ていると、『働きマン』や『サプリ』で描かれた働く女性像からは外れた、疲れたOLヒロインの姿が見える。

就職できずに家事代行の仕事をする『逃げるは恥だが役に立つ』の主人公・森山みくり。あるいは就職して働くも、さまざまなことに疲れて無職になり「暇」を謳歌する『凪のお暇』の主人公・大島凪。ふたりとも、就職やキャリアへの「不安」がベースにありつつも、その中で自分なりのやり方や、ペースを獲得していこうとする姿が特徴的だ。

だってこんな時代に働きすぎても、幸せは担保されないから……と苦笑した私たちの姿を映し出すかのように、彼女たちは、生活への工夫、そして自分なりの心構えの明るさで、無職や休職期間を楽しむ。

長時間労働やパワハラ上司に搾取されるのも、ハラスメント気味の彼氏から搾取されるのも、よくない。自分の身は自分で守る……と、働くことへ邁進しすぎることも、恋愛にのめり込みすぎることもしない。だけど消費行動で余暇を楽しむほどの余裕もないから、自分なりの工夫をする。

その姿は、「OL」がオフィスで働くことだけではなく、ほかのところにも人生は広がっているんだと、世の価値観を反映したように見える。

例えば「契約結婚」という形で家事をすること、「自分から仕事を辞める」ことで人生のあり方を模索すること。そこまで多様に「OL」のあり方そのものが広がっている。

常に前を向き行動する主人公たち 自分も自分なりの正解を見つけたい


OLマンガの変遷を見てくると、いつの時代も前向きになろうとしつつ、それでも前向きになりきれない不安や葛藤がその裏にあることがよく分かる。働きすぎても心配される、だけど働かないのはもっと心配される。結婚しなくても不安になる、だけど結婚してダメな夫につかまるのはもっと不安だ。

もちろん考えても仕方ない、と割り切ることも必要だけど、やっぱり悩んでしまうのが人生だろう。それでもOLマンガの主人公たちは、時にキャリアに、人生に迷いつつ、前を向いて自分なりの幸福を求めてちゃんと行動する。

その姿は決して一様でなく、さまざまな女性の背中が見える。だからきっと、仕事や人生に悩むあなたにも、もしかしたら一筋縄ではいかないかもしれない正解が、そして幸福の姿が、どこかにあるはずだ。私は私なりに正解を探していかないと、とあらためて往年のOLマンガを読んで、思ったりするのだった。

著者:三宅香帆

1994(平成6)年生まれ。会社員の傍ら、文筆家・書評家として活動中。著書に『人生を狂わす名著50』(ライツ社)、『文芸オタクの私が教える バズる文章教室』(サンクチュアリ出版)がある。
Twitter:
@m3_myk

(編集:はてな編集部)

*1:『なぜオフィスでラブなのか』(西口想、2019年、堀之内出版)より。オフィス・ラブから文芸作品を切り取るという斬新な試みをした。

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