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「ストII」「キングダム ハーツ」の楽曲を手掛けた下村陽子さん「今も自信はないんです」―求められることに全力で応えて広げた世界―

「ストII」「キングダム ハーツ」の楽曲を手掛けた下村陽子さん「今も自信はないんです」―求められることに全力で応えて広げた世界―

作曲家の下村陽子さんは、「ストリートファイターⅡ」や「スーパーマリオRPG」、「キングダム
ハーツ」、「ファイナルファンタジーXV」など、数々のゲームミュージックを手掛けてきました。株式会社カプコン、株式会社スクウェア(現・株式会社スクウェア・エニックス)を経てフリーランスとなった今も、ゲームや映画、アニメ、舞台作品など幅広く楽曲を提供し続けています。

お子さんを出産する20時間前まで作曲をしていたというほど、とにかくパワフルな下村さん。しかし、新人時代は仕事に悩み、辞めることばかり考えていたといいます。さらに、スクウェア時代には極度のスランプに陥り、3カ月の間全く曲が作れなくなってしまったことも。

そこからどのように這い上がり、売れっ子作曲家へと歩んでいったのか? 下村さんの仕事哲学を伺いました。

ダメ元で受けたカプコンに「なぜか」合格

── 子どもの頃は主にクラシックに親しんでいたそうですが、ゲームミュージックにも関心があったのでしょうか?

下村陽子さん(以下、下村):私が子どもの頃はファミコンも発売されていませんでしたし、ゲーム自体も近所のスーパーなどにあるちょっとしたアーケードゲームで遊ぶくらいでした。ですから、「ゲームミュージック」というものを特別に意識したことはなかったです。大学生の時にスーパーマリオブラザーズをやってみて、そこで初めて「こういう音楽を作っている人がいるんだな」と、その存在に気付いたんです。

── それで、ゲームミュージックを作る人になろうと思われたんですか?

下村:音楽を仕事にしたいという思いは、中学生の時から抱いていました。ただ、具体的に何になろうとは決めていなくて。楽譜出版社の事務職などを含め「音楽に関わる仕事なら何でもいい」というくらい、漠然とした夢でしたね。

── では、自分がカプコンに入ってゲームミュージックを作るなんて、まるで想像していなかったわけですね。

下村:そうですね。正直、短大に入ってからもカプコンという会社のことは知りませんでした。短大1年時にアルバイトをしていたイベント会場にカプコンとハドソンが出店していて、確か「魔界村」のチラシを配っていたのかな。それで、ゲーム業界にもいろんな会社があるんだなと。ただ、その時点でも自分がゲームミュージックを作ることになるとは夢にも思わず。そもそもピアノ科でしたから、できるわけもないですしね。

── なのにどうして、就職試験を受けることにしたんですか?

下村:就職指導課にカプコンからの求人が張られているのを、たまたま見つけたんです。職種は「サウンドクリエイター」と書かれていました。横文字がかっこいいなと思って、印象に残ったんでしょうね(笑)。そういえば、あの「マリオの音楽」を作っているのはこういう人たちなんじゃないかと思い出して、受けてみることにしたんです。
とはいえピアノの先生になることがほぼ内定していましたし、ダメ元で行ってみようというくらいの気持ちでした。何で合格したのか、いまだに分からないんですよ(笑)。

曲が作れない 毎日辞めようと思った新人時代

── カプコン入社当初は、曲が作れず悩んだこともあったと。

下村:最初の半年間は、何度辞めようと思ったことか……。当時は実家暮らしでしたが、帰宅する度に「明日辞めるかもしれない」と言って親を心配させていました。やりたいと思っていた音楽の、しかも曲を作るという夢みたいな仕事に就けたのに、何一つ結果を出せないことがつらくて。

── でも、辞めなかった。

下村:とにかく何でもいいから、ファミコンで一つ作品を出すまではどんなにしんどくても続けようと。そんな思いで頑張っていたら、ディスクシステムの書き換えのゲームで作品を残せました。次は販売されるファミコンカセットでと考えていると、海外版のファミコンゲームを担当しました。じゃあ、次は日本版のファミコンカセットで1本作れるまでやろうと。1本終わったら、やっぱりもう1本と……。そうしていくうちに産みの苦しみと同時に楽しさを感じられるようになっていったんです。データを打ち込んで工夫する楽しさを知って、すごく没頭できるようになりました。

── 半年間の苦しい時期があったとはいえ、1年目からちゃんと戦力になっていたんですね。

下村:そうはいっても、前年の4月に入社した先輩は、12月にはファミコンカセットの作曲をバリバリやっていましたからね。初代の「ロックマン」は、1年先輩の松前真奈美さんが新人の頃に手掛けた作品ですから。

── 初代ロックマンの曲って、新人の方が作られたんですか……。今でも「神曲」として人気ですよね。

下村:そうなんです。松前さんは今でもゲームミュージックを作られていますが、当時から素敵な曲ばかりで。憧れると同時に才能の違いを感じて、先輩の曲を聴く度にすごく落ち込んでいましたね。

── では、納得のいくものを作れるようになったのはいつ頃ですか?

下村:先輩との差は感じつつも、当時から自分の中では納得したものを納めていたんですよ。というのも毎回、その時の自分ができる精いっぱいのことを出し切るようにしていましたから。いつも無我夢中で、気持ちに余裕は全くありませんでした。まあ、それは今もですけど(笑)。私の辞書に「余裕」という文字は一生刻まれないでしょうね。

「ストⅡ」の大ヒットから一転、大スランプへ

── 下村さんにとってターニングポイントになった仕事は、やはり1991年の「ストリートファイターⅡ」でしょうか?

下村:そうですね。当時は入社3年目ぐらいだったと思います。ストⅡを私がやることになったのは、“たまたま”だったんです。当時は一つの仕事が終わったら間を置かずに次の仕事が入る感じで、たまたま手が空いた時に「次はAとBとCがあるけどどれにする?」と言われ、選んだのがストⅡでした。
実は、当時の上司が初代ストリートファイターの音楽と効果音の一部を担当していて「これ、めっちゃいいタイトルだから、まあまあヒットすると思うよ。本当は自分でやりたい」なんて言っていました。だったら、やってみようかなって。最終的には、まあまあどころのヒットではなかったですけどね。

── 社会現象と言えるほどの大ブームを巻き起こしました。当時小学生だった僕も、ゲームセンターで行列に並び、順番待ちをしたのを覚えています。

下村:当時は、私も何が起きているのか信じられなかったです。ただ、ストⅡの音楽を手掛けたからといって、チームの中で私の立場が変わることはなかったですね。ヒットしても出世しませんし、お給料も上がらなかった(笑)。それでも、ゲームセンターに行くとストⅡの筐体(きょうたい)を囲む熱気がすごくて、ヒットしていることを実感できました。

── ストⅡの大ヒットによって、ようやく自信が持てた感じですか?

下村:それが、自信は今もないんですよ。ストⅡの後もヒット作を手掛けさせてもらったり、今ではありがたいことにコンサートも行えるようになりましたけど、自信は持てなくて。
今でもデモ音源を出すときは「ボツになったらどうしよう……」と考えてしまい、心が折れそうになります。どんなに会心の出来だったとしても、常に不安はありますね。どうやったら自信が持てるんでしょうか?

── ただ、本人はそうでも周りはどんどん期待しますよね。

下村:カプコン時代はそうでもなかったですね。それに、後輩が増えていくにつれ、自分で作曲をするよりその後輩たちの面倒を見ることを求められるようになりました。

── カプコンからスクウェア(現・スクウェア・エニックス)に移籍されたのは、プレイヤーであり続けたいという思いがあったからなのでしょうか?

下村:それもありますが、「ロールプレイングゲーム(RPG)の曲を書きたい」という理由の方が大きかったですね。カプコンに入る前から、すぎやまこういち先生が作る「ドラゴンクエスト」の音楽のような、クラシカルなものに憧れていましたから。
でも、当時のカプコンは完全にアクションゲームの会社でしたし、私は当時コンシューマーゲーム(家庭用ゲーム)からアーケードゲームの担当に移っていました。アーケードゲームからRPGが出る可能性って、まずないじゃないですか。ですから、RPGの楽曲を作るチャンスを求めて、スクウェアに移籍したようなものです。

── 下村さんはクラシック音楽がルーツですから、RPGの作曲にもすぐ対応できそうですしね。

下村:そう思っていたんですがスクウェアに入社したら、また曲が作れなくなってしまったんです。たぶん、プレッシャーを感じていたんでしょうね。「ストⅡの音楽を作った下村」という周囲の期待を受けて、すごく緊張してしまって……。いいと思える曲があまりにも浮かばなくて、最終的には上司に呼び出されましたよ。

── どうやってスランプを脱したんでしょうか?

下村:特にきっかけがあったわけではなくて、曲を書き続けるうちに糸口が見えたというか、気持ちがグッと乗ってくるようになりました。とにかく書くことで、音楽を追求する楽しさを思い出したという感じです。
そうなるまでに、3~4カ月はかかりましたね。お手軽な気分転換だけでどうにかなるレベルのスランプではなかったと思います。ただ、それからは詰まることなく、スクウェアを退社するまで走り切ることができました。相変わらず、曲を書くのは遅かったですけどね。

曲を書き上げたその足で、出産へ

── 2003年にスクウェアを退社されていますね。

下村:当時はかなり多忙で、いったん仕事を辞めて自分を見つめ直す時間を作ろうかと悩んでいました。そんな時に妊娠が判明して、さすがに今のような働き方はできないなと。少なくとも、産前産後の1年は仕事を離れないといけない。フリーランスで働くというのもあまりピンと来なかったし、そのまま専業主婦になってもいいかなと思ってましたね。

── でも、実際はフリーランスの作曲家として、すぐ仕事に復帰しています。

下村:本当は休むつもりだったんですけどね。でも、ありがたいことに退社直後にスクウェアからお仕事をいただき、第1作から担当していた「キングダム ハーツ」も続投してほしいというお話があって。結局、ほとんど休めませんでした。息子が生まれる20時間前まで曲を書いていましたからね。夕方の4時まで曲を書いてデモ音源を出し、その足で病院へ行きました。産後も2カ月間休んですぐに復帰しましたよ。

── とんでもなくパワフルですね。

下村:いつも締め切りに追われていて、やらざるを得ないというのもありますが……。私にとって「働くこと=音楽を書くこと=生きること」という感じなので、なんだかんだいっても仕事をしたくなってしまうんですよね。スクウェア時代、30歳手前に3カ月間の休暇を取ったんですけど、さんざん遊んだ後にはやっぱり曲を作りたくなりましたから。当時は、スーパーファミコンからプレイステーションに変わる過渡期にあって、「新しいハードになってもやっていけるのか」という悩みもあったんですけどね。

── フリーランスになってからは、ゲーム以外にもアニメや舞台、コンサートなどさまざまな仕事にチャレンジされています。

下村:ありがたいですね。私自身は受け身な人間なんですけど、求められたことに対して精いっぱい応えているうちに、世界が広がっていきました。アニメや舞台もそうですし、今は宝塚という新しい世界の舞台裏をのぞくことができて、とても勉強になっています。

── 下村さんのように、会社を辞めてからも求められる人間になるためには、何が必要でしょうか?

下村:うーん、なんだろう。「おしゃべり」かなあ?

── おしゃべり、ですか?

下村:私はおしゃべりなんで、会社員時代から誰とでも楽しくコミュニケーションを取っていたんです。それもあって、退社後も気軽に声をかけやすかったんじゃないでしょうか。
それから、自分にしかない特徴を一つでも多く持っておくと、重宝されますね。「こういうテーマだったら下村が向いてるんじゃない?」と、思い出してもらいやすい気がします。仕事で自分が起用された理由をちゃんと考え、結果でお返しできれば次も使ってもらえる。私の場合は単にラッキーだったのもあると思いますけどね。

「求められたら全力で返す」ただ、それだけ

── 世の中には、ゲームやゲームミュージックによって救われる人もいます。

下村:海外のイベントなどでサイン会などがあると、よくお手紙をいただきます。学校に行けなくなった時に私の音楽で救われた。入院している時に私の曲を聞くことが一番の楽しみだった。そんなお言葉をいただくと、これまでやってきたことは無駄じゃなかったんだな、誰かの人生の役に立っているんだなと思えます。
逆に元気をもらえますね。私が曲を作ることで1人でも前向きな気持ちになってくれるなら、今後も続けていく意味はあるのかなって。

── 素晴らしいお仕事です。最後に、これからの目標を教えてください。

下村:実は、仕事での目標って立てたことないんです。自分の子どもには目標を持ちなさい、なんて偉そうに言うんですけどね(笑)。自分からアレをやりたい、コレをやりたいっていうのがなくて。さっきも言いましたが、とにかく受け身なんです。だから、求められて全力で返すの繰り返し。それが結果的に、いい方向へつながっているのかな。
強いて言うならフィギュアスケートの曲を書きたいかな。実際、ゲームミュージックで滑った選手もいらっしゃいますからね。死ぬまでに一度くらい、フリースケーティングのオリジナル曲を手掛けてみたいです。

── どうすれば下村さんのように、楽しく前向きに仕事ができるでしょうか?

下村:私が心掛けているのは、感情を無理に押さえつけないことですね。泣きたい時は大げさなくらい泣くし、笑うし、怒ります。特に音楽は感情の表現であることが多いので、感情が豊かなほど音楽も豊かになる。音楽に限らずどんな仕事でも、なるべく自分の心に正直に従っていけば、明るく楽しく働けるんじゃないでしょうか。

あとは、人と比べないことですね。新人の頃、周りがすごい人ばかりで落ち込みましたけど、上を見たらキリがないですからね。ショパンと比べたって、かなうわけないじゃないですか。だから、ライバルは常に過去の自分。周りを見ずに、自分を新しく塗り替えていくことに集中した方がいいと思っています。

取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな編集部 撮影:小高雅也

取材協力:下村陽子

株式会社カプコン、株式会社スクウェア(現・株式会社スクウェア・エニックス)を経て、現在フリーランスの作曲家として活躍中。近年では、ゲーム音楽以外にも、映画『ひるね姫~知らないワタシの物語~』(2017年)、TVアニメ『ハイスコアガール』(2018-2019年)、宝塚歌劇宙組公演『天は赤い河のほとり』(2018年)、ラグビーワールドカップ選手入場曲など、幅広いジャンルへの楽曲提供も行っている。2014年、2016年、2019年には、自身が企画・監修するコンサートを行っており、いずれも好評を博した。2019年1月、シリーズ担当作品である『キングダム ハーツ III』が発売された。また、その有料ダウンロードコンテンツである「キングダム ハーツ III Re Mind」が2020年1月に配信予定となっている。今後も数々の作品への楽曲提供、国内外のイベント、コンサートへの参加など、幅広い分野での活動が予定されている。 主な代表作品:『ストリートファイターII』(カプコン)、『キングダム ハーツ』シリーズ(ディズニー/スクウェア・エニックス)など

Twitter:@midiplex

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