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仕事を好きになる必要はない。でも誠実であれ。|中年会社員から君へ(寄稿:フミコフミオ)

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こんにちは。僕は食品業界で働く中年サラリーマン、フミコフミオである。十数年間、インターネットの片隅で、勝手気ままにブログを書いてきたので、ひょっとすると僕の名を知る奇特な方もおられるかもしれない。今日は縁あって、仕事人生に漠然とした不安を抱く若き皆さんへ、44歳の中年サラリーマンの立場から、「居場所の作り方」について話をしてみたい。まとまりのない話になるし、ウザいのは重々承知の上である。
僕は2017年の夏からお世話になっている今の職場で、近く営業の責任者を任されることになっている。2016年の末に管理職を務めていた会社を何の考えも見通しもなく退職し、8カ月間のアルバイト生活を経ての中途入社というしょうもない経緯を考えると、逆転満塁ホームランのような昇進だ。もし、この文章を読んでいる方の中で近く退職を考えている方がおられるなら、いったん深呼吸をして、将来について考えてみてほしい。計画はあるか。ビジョンはあるか。

退職には、ある種の勢いが必要不可欠だが、勢いだけで突き進んでしまうと、後悔するのは間違いない。例えば僕の場合、会社を辞めたことについての後悔は全くないが、何も考えずに辞めたことについては、家族に苦労をかけてしまったので、悔やんでいる。勢いに任せたビジョンなき退職は、人生そのものを狂わせてしまうこともありうる。実際、僕と前後して同じように何も考えずに会社を辞めた元同僚たちの中には、まだ安定した仕事を見つけられずにいる者も数名いる。

「偶然の結果」を呼び寄せる方法

僕が結果的に前職よりも好条件で働けるようになったのは、「偶然、たまたまの結果」である。転職は35歳が限界と一般にいわれるそうだ。特別な資格も、人脈も、計画性も持ち合わせていない、仕事がそれほど好きでもない平凡な中年の会社員にすぎない僕が、なぜ、恵まれた環境で働けるようになったのか。その理由を僕は「偶然、たまたまの結果」といった。プロ野球の名監督であった野村克也氏は「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という、江戸時代のある大名の言葉を座右の銘としていたそうだ。僭越ながら野村氏が傾倒した言葉を自己流に解釈をすると、今、僕に居場所があるのは、これまでの職業生活において「偶然、たまたま」に「不思議の勝ち」を引き寄せる何かがあった、あるいは負けに近づかない何かがあったとしかいえない。「不思議の勝ちを拾えた要因はなんだろう?」と自分の職業生活を振り返ってみると、一つしかなかった。それは「誠実に目の前の仕事と向き合ってきたこと」だ。それしかない。

「誠実に仕事と向き合う」とは、仕事を好きになることではない

誠実に仕事と向き合う。これは仕事を好きになることとは違う。ましてや動画配信サイトのCMのキャッチフレーズにあった「好きなことで、生きていく」でもない。誤解を恐れずに言うならば、仕事を好きになる必要は全くない。好きな仕事に就ける人もいれば、働く中で仕事が好きになっていく人もいるだろう。好きな仕事ができる。仕事を好きになる。そもそも仕事が好きである。そういう本当にラッキーな人は、いますぐこのような怨念にまみれた中年が書いた文章を読むのはやめて、「好きな仕事」に戻ってほしい。なぜなら、この文章は仕事が好きではない人、あるいは仕事が好きになれない人に向けてのものだからだ。

僕は基本的に仕事や働くことが好きではない。年末になると大金目当てで宝くじを買っているのも仕事から逃げ出したい気持ちの表れだ。そこには諦めがある。自分は好きな仕事に巡り合えないのだという諦めだ。好きな仕事にありつける人は本当にラッキーだ。一方で誰もがやりたがらない仕事に就き、不本意ながら働いている人もいる。だからこそ、世の中は回っているとも言えるのだが。仕事を好きになるに越したことはないが、僕は、無理に仕事を好きになる必要はないと思うし、好きになろうとするから、ストレスが生じると思っている。肝心なのは仕事を好き嫌いで判定しないことだ。好きな仕事に携われる可能性はそれほど高くないだろうから、好き嫌いの二択で仕事を選んでいると最終的には居場所がなくなってしまう。

僕がなぜ好きでもない嫌な仕事をしているのか。なぜ好きな仕事を探さないのか。それは「職業生活の終わりまで好きな仕事だけ選択し続けることはおそらく不可能」という予測による諦めがあり、純粋に「好きな仕事」だけで構成される職業など存在しないと、長年の職業生活による悟りがあるからだ。ひとことで言えば、仕事に夢を見る年齢ではないからに過ぎない。嫌なら辞めるという選択も正解であり、嫌でも辞めないという選択も正解なのである。

選択に上下はない。嫌な仕事から解放されるのを自由と取るか、好き嫌いの判断から解放されるのを自由と取るか。僕は後者を取っただけのことだ。

「誠実に仕事と向き合う」とは、1日の労働時間が8時間だとしたら、その時間だけは好き嫌いの感情を排除し、極端な言い方をすれば、楽しくなくても全力でやりきることである。繰り返しになるが僕は基本的に仕事が好きではない。「基本的に」と留保するのは、好きではない仕事と付き合ううちに、ごくごく一部でも楽しいと思える仕事が見つかる可能性があるからだ。全体的には好きでも楽しくもないけれども、ディテールに着目すると楽しかったりする仕事もある。

「誠実に働く」とは、「好きじゃない仕事でもどうせ働くなら、せめて丁寧な仕事をしよう」というスタンスを指している。働くことは貴重な時間を費やすこと。言うまでもなく時間とは世の中で一番大切なものである。貴重な時間を1日8時間も費やすのであれば、好き嫌いは保留して、無になって目の前の仕事に向かってみてほしい。なぜなら、好き嫌いを判定してから仕事に取り組んでしまうと、フィルターがかかって、先に述べたような好きになりうる、楽しいと思えるディテールを逃してしまう可能性が高いからだ。

先入観を持たずに働いてみることのメリット

とりあえず先入観を持たずに、あるいは先入観にとらわれずに仕事に向かってみる。個人差はあるが、労働時間はほとんどの人にとって1日のかなりの部分を占めている。8時間労働だとすると1日の3分の1になる。非常に大きい。その時間を好きではない仕事だからという理由だけで雑に過ごす方が、大きな損失だと僕には思えてならない。僕は仕事が好きではないが、それ以上にも1日の大半を雑に消費してしまうのは、人生を無駄にしているようで嫌なのだ。

では、どのように好きではない仕事と向き合えばいいのか。僕は仕事をテレビゲームのように捉えることにしていた。子供の頃、「スーパーマリオブラザーズ2」というファミコンのゲームがあった。万人向けの「1」と比較すると「2」は、子供泣かせの高難度のゲームで、ジャンプのタイミングが微妙であったり、敵キャラの配置が嫌がらせのようにシビアであったりして、すぐにゲームオーバーになった。はっきりいって全然面白くなかった。けれどもゲームオーバーになるのが悔しくて、何度も何度も挑戦した。すると、最初は作り手の底意地の悪さばかり目についたステージ構成も、作り手との知恵比べのように思えてきて、最終的には「クソ! 絶対攻略してやる! つまんねーけどクリアを目指すのが面白い!」と楽しんでいる自分に気づいてしまった。ゲームと割り切ればそういう考え方ができた。僕はこんな自分の性格を仕事に応用したのだ。

丁寧な仕事というのは、全力で仕事に取り組むことだ。僕は若い頃、営業の仕事をしていたが、外回りの仕事が嫌で嫌で仕方なかった。当時の僕には1日30〜50件の新規営業先を回るのがノルマとされていたが、飛び込み営業先で歓迎されることなどほとんどなかった。そこから見込み客をつくり、契約を獲得し与えられたノルマを達成するのは、スーパーマリオブラザーズ2の全クリア以上に高難度のゲームに思えた。無理ゲーだった。好きになるなどもっての外の仕事だった。

僕は発想を転換した。好きでもない、厳しい仕事に時間をただ費やすのは、逆に惜しいと考えるようにしたのだ。丁寧に全力で向き合って本当にダメだったら辞めればいいと考えると、気持ちが少し楽になった。意識の高い系ワードで言うところの「学び」や「気付き」みたいなものが仕事から得られるとは全く期待していなかった。そこにあったのは、「時間を雑に消費するのは大きな損失」という認識だけだった。

仕事をゲームにする

僕がやったのは外回り営業のゲーム化だ。「1時間以内に何件回る」という短時間の内に明確な結果が出る目標を設定して、そのクリアだけを目指した。達成できなかったら次の1時間に再度挑戦。完全にスーパーマリオブラザーズ2を攻略したときの精神状態であった。1年か、2年ほどゲーム感覚で外回り営業を続けた。結果的に全くその仕事全体を好きになることはなかったけれども、無理ゲーまがいの仕事だったが、ほんの数件、確率でいったら1%にも満たない数の案件は、見込み客となり、契約にこぎつけ、顧客となってくれ、より大きなビジネスの機会を得ることができた。僕は好きになれなかった外回り営業から、ごくわずかに仕事の面白みを感じるようになったのだ。

さすがに今は毎日外回り営業をすることもなくなってしまったけれども、転職後の僕が営業の責任者としての居場所を得られたのも、若い頃から好き嫌いで仕事を選ばず、とりあえず丁寧に全力で仕事に取り組み、そこからなんとか楽しみを見出す。そんなことを続けてきたからだ。つまり、何が言いたいかというと、仕事を好き嫌いで判定するのではなく、目の前の仕事にとりあえずトライしてみて、そこから得られるもの、それが達成感なのかスキルなのかは人それぞれだけれども、それに満足できるか、できないかで判定してもらいたいということだ。

もちろん、うまくいかないこともある。実際、僕には意味不明な苦労が多かった。転職前はボスの孫のために妖怪ウォッチのグッズを買い出しに行かされたり、営業の仕事とは無関係の海の家の店長代理をひと夏の間やらされたりもした。だが、数多くの無駄打ちがあるからこそ、今の僕がある。楽しみを見出せた仕事なんて携わった仕事のうち3割くらいじゃないだろうか。随分と少ないように感じるかもしれないが、それも捉え方次第で、僕は「プロ野球で3割バッターならまあ一流と言えるよな」と納得はしている。実際、僕の能力ではこんなものだろう。

方法などなんでもいい。ただ、誠実であれ

誤解してほしくないのは、嫌な仕事を進んでやれと言っているわけではないことだ。無理はしないでほしい。乗り気でない仕事でも、とりあえずトライしてみる。その程度の話である。結論じみたことを言うと、何の取り柄もない僕が40歳を超えて好条件の転職ができたのは、好き嫌いで仕事を判断せず、誠実に仕事と向き合ってきたからで、それ以外にはない。もちろん、ここまで述べてきた考えはいささかマッチョでもあって、ハマらない人も多いはずだ。それぞれに合った仕事の取り組み方を見つけ、選択してもらえればいい。そもそも、大事なのは誠実に仕事と向き合う姿勢であって、実際にどう仕事に取り組むかなんて方法は、些末なものでしかないのだから。

ただ一つ僕が若い人に伝えたいのは、若い頃から、つまり今、目の前にあることの積み重ねが20年後の自分をつくるということだ。40歳を越えても自由であり続けられるか、居場所に困らないでいられるか否かは、君たちが今、目の前にある仕事にどう取り組むかで変わってくる。「現在と未来は地続きでつながっている」それを意識して日々を過ごすだけで、未来はいくぶん明るいものになるのは間違いない。僕が自信を持って言えることは、それくらいしかない。(所要時間75分)

著者:フミコフミオ(id:Delete_All

海辺の町でロックンロールを叫ぶ不惑の会社員。ブラック企業勤務〜フリーター〜再就職を経て本稿の話題にいたる。90年代末より現在まで、日々の恥をブログに綴り続ける。

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