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やりたい仕事が分からなくてもいい、歩んだ足跡を愛せるなら。|精神科医から君へ(寄稿:熊代亨)

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梅雨のどんよりした天気が続きますね。精神科医の熊代亨といいます。


「自分はこんな仕事がしたい」「こんなキャリアアップを目指したい」――そういった話を具体的に語る若者が、私にはまぶしく見えます。就職・転職活動上の建前として仕事やキャリアを語るのでなく、可能性のあるビジョンを持ち、はっきりとした志を語ってみせる若者って、いるところには本当にいるんですね。


そうはいっても、仕事なんてしたくない人、キャリアなんてさっぱり分からない人も多いことでしょう。


私の世代は「就職氷河期世代」といわれ、とびきりの就職難を経験しました。しかしそんな時代にもかかわらず仕事への意識が低い若者はたくさんいて、かくいう私もその一人でした。それでも意外とみんな生き延びていけるもので、他業種に就職した仲間たちも、今ではひとかどの社会人です。


今回はそんな私自身の経験を踏まえて「やりたい仕事なんて分かっていなくても大丈夫なんじゃないの?」というお話をします。

「意識の低い社会人」としてのスタート


私は仕事に対して非常に意識の低い人間だと自覚しています。精神科医として働いていますが、最初から医者を志していたわけではありません。医学部を目指したのは、実のところ「医学部は6年制だから、他の学部よりも2年多く遊んでいられる」という思い込みがきっかけでした。入学後しばらくしてから、大学入試よりも厳しい勉強と実習が待っていることに気付いて、びっくりしたのですが。


その後精神科医になると決めたのも、本当にやりたい仕事だったからではなく「精神科なら、自分のお粗末なコミュニケーション能力を何とかできるかも」と期待してのことでした。しかし新人歓迎会などでは社会的体裁としてそれらしい動機を語ることが求められ、患者さんからも「どうしてあなたは精神科医を選んだの?」とよく聞かれました。そのたびに自分の本心と社会的体裁とのギャップを自覚して、居心地の悪い思いをしたものです。


ただ幸いなことに、私のプライベートな友人知人たちも「仕事でやりたいことが見つからない」「とりあえず入れる会社に入った」といった、世間的には意識の低い若者ばかりでした。製造業に進んだ友人Aは、なかなか仕事が覚えられない焦りを嘆き、サービス業に進んだ知人Bは、ウェブサイトの掲示板に上司や会社への呪詛を垂れ流していました。Bのやっていたことは、今だったらネット炎上していたに違いありません。


意識の低い社会人スタートを切った私にとって、意識の低さを共有できる仲間、仕事への恨みごとを語り合える人間関係があったのは幸運なことでした。それが無かったら、研修医1年目のつらい時間を乗り切れなかったかもしれません。


もし、あなたが意識の低い社会人ならば、どうか、意識の低いつながりを大切にしてください。自分一人だけ意識が低いとストレスや劣等感がたまる一方ですが、みんなの意識が低いと「あ、自分だけじゃないんだ……」と思えて案外持ちこたえられるものです。

仕事は、少し先が見えると、意外となんとかなる


そんな私も仕事に慣れるにつれ、周りを見渡す余裕が出てきて、精神科の薬やカウンセリングに興味を持つようになりました。うまくいった治療とうまくいかなかった治療を見比べたり、論文や文献を読んだりするうちに、この仕事は奥が深く、自分なりに上達の余地がある気がしてきました。


目の前の仕事に圧倒されるばかりで、自分の手足しか見えていなかった駆け出しの時期に比べると、少し未来が想像できるというのはラクなものです。そうなると、少し背伸びして仕事をやってみようとか、先輩の得意な部分を真似てみようとか、そういった前向きな気持ちが生まれてきました。


意識が低いなりに、努力の余地って芽生えてくるものなんですね。


20代後半の私は、新型の抗うつ薬や安定剤について学ぶことに力を注いでいました。発売されたばかりの薬についてなら、ベテランよりも早く、たくさんのことを覚えられるように思ったからです。


やがて私は、最新の知識が患者さんの治療にはもちろん、同僚や先輩と会話する際にも一種の“見せ札”として役立つことに気付きました。たぶん、医者以外の専門職でもそうだと思うのですが、何か“見せ札”になるものを20代のうちに身に付けておくと、自分の立場が変わって、社会人人生の景色も変わるのでオススメです。意識の高低にかかわらず、自分なりの“見せ札”はあった方がいいと思います。

意識の低い社会人にも、キャリアは後から付いてくる


不思議なことに、意識の低さを共有していた私の仲間たちも、だいたい私と同じくらいの時期から仕事に関心を持ち始め、社会人としてもそれらしくなっていきました。転職や結婚、中には離婚を経験する者も出てきましたが、それぞれの人生はそれぞれ前に進み、歩んだ後には何らかのキャリアが出来上がってきていることに気付き始めました。


時には山や谷もあり、とおせんぼをくらって立ち止まることもあります。それでも、死にさえしなければ、キャリアは後から付いてくるのですね。


意識の高い人たちにとってのキャリアは、自分がこれから行く道を指すものなのかもしれません。一方、意識が低い私たちにとってのキャリアは、自分の歩んだ足跡として事後的に出来上がっていきます。でも、それはそれでいいじゃないですか。

仕事は自分にとってのアイデンティティか?


精神医学の教科書ではおなじみの、エリク・ホーンブルガー・エリクソンというアメリカの発達心理学者が語った発達モデルによれば、若者から大人になっていく過程で重要な心理的課題は「アイデンティティを確立すること」なのだそうです。


アイデンティティとは、「自分にとって不可欠な構成要素」「自分はこういう人間だと言えるようなもの」だと思ってください。趣味、人間関係、そして仕事も、自分自身にとって不可欠な構成要素と思えるものならば、それはその人のアイデンティティといって差し支えないでしょう。


しかし現代人にとって、自分に不可欠な仕事を見つけるのはそれほど簡単なことではありません。


学生時代からやりたい仕事を想像し、当て推量で就職することはできます。しかし実際には働いてみなければ分からないことも多く、ある程度仕事をこなさなければ見えてこない境地もあります。


厚生労働省「新規学卒者の離職状況」の1996年から2014年までのデータを見ると、毎年、新規大卒就職者の約30%が就職から3年以内に最初の職場を辞めています。


新規学卒者の離職状況


世襲制の仕事が多く、子ども時代から将来の仕事を見知っていた時代ならともかく、まったく知らない職種に飛び込むことの多い現代社会では、仕事と自分とのミスマッチはどうしても起こりますし、右も左も分からないうちからその仕事にアイデンティティを実感するのも困難でしょう。自由に仕事を選べるようになった反面、就職先でいち早く仕事面のアイデンティティを実感する難易度は上がったと感じます。


その上、現代社会は雇用の流動性が高まっており、20代はもちろん、30代や40代での転職も珍しくありません。「やりたい仕事」を追求しようと思えばいつまでも追求できますが、諦めがつきにくくなったともいえます。またこのような雇用情勢の中では、どんなに気に入った仕事でも、諸事情によって変えざるを得ない可能性が高くなります。


このような時代に、アイデンティティと呼べる仕事をどの程度持てるものでしょうか。そもそも、持つべきなのでしょうか。

「一つの仕事=アイデンティティ」でなくても構わない


一つの仕事=アイデンティティと捉えるなら、現代人が仕事のアイデンティティを持つのは簡単ではありません。同じ企業に勤め続ける人でさえ、転勤や昇進で仕事内容が変わりますから、そのたびにアイデンティティが動揺するようでは身も心も持ちません。


ですが、自分の歩いた足跡、すなわちキャリアをアイデンティティとみなす分には、転勤や昇進や転職にかかわらず唯一無二です。A社で5年、B社で3年、C社で5年と、それぞれ異なる業種の会社で働いてきた人が、その歩んできた足取り全体を「これが自分だ」と受け止められるなら、仕事のアイデンティティは成っている、といえます。


以前、会合で知り合った会社の社長さんが「俺は仕事を10回以上も変えてきたが、俺はこれでいいと思っている」と自慢げに話していたのをよく覚えています。仕事を何度も変えるというと、社会人としてアイデンティティの定まらない人物像が想像されるかもしれませんが、その人は実に堂々と自分の人生を語っていました。彼の中では、これまでの足跡全体が肯定できるものなのでしょう。


仕事以外の領域のアイデンティティについても、自分の歩んだ足跡にイエスと言える限りにおいて、どんな足跡でも、どんな生き方でも構わないのだと思います。

意識が低いゆえの、なし崩しのキャリアを恥じる必要はない


ですから、20代のうちにやりたい仕事が分からなくても、そんなに心配しなくて大丈夫です。とりあえず手を動かして、目の前の仕事をこなしているうちに、だんだんやるべきことが見えてきて、そのうち勝手にキャリアとアイデンティティが付いてくる可能性は低くありません。


どんな仕事にも、そこでしかできないことがあり、そこでしか見えないことがあるのですから、やってみる値打ちはあると思います。


働いた歳月はどんなものであれ、遠回りや緊急停止も含めて、経験やキャリアとなってあなたの中に残ります。それを愛していけるなら、いや、少なくとも否定せずに済むのなら、キャリアなんて、本当は何だっていいはずなんです。


意識の低い皆さん、とりあえず生き延びて、とりあえず働いて、やっていきましょう。なし崩しのキャリアでも、恥じる必要はありません。

著者:熊代亨(id:p_shirokuma)

 

p_shirokuma

精神科医。「診察室の内側の風景」とインターネットやオフ会で出会う「診察室の外側の風景」の整合性にこだわりながら、ブログ『シロクマの屑籠』で現代人の社会適応やサブカルチャーについて発信中。通称“シロクマ先生”。近著は『「若者」をやめて、「大人」を始める 「成熟困難時代」をどう生きるか?』(イースト・プレス)『認められたい』(ヴィレッジブックス)など。

 

ブログ:「シロクマの屑籠」


(編集:はてな編集部)