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正社員から無職、アルバイト、そしてフリーランスへ……ブックライター、上阪徹さんに聞く「仕事がないときの仕事の作り方」

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人生の先輩たちに、失敗の経験とそこからのリカバリー方法について聞く当連載。今回は出版業界の第一線で活躍するブックライター・上阪徹さんに、仕事がないときの仕事の作り方についてお話を伺ってきました。

 

 

「ブックライター」という職業がある。会社経営者やトップアスリートなど、多忙かつ執筆のスペシャリストではない著者に代わり、長時間に及ぶ取材をもとに、本を書き上げるプロフェッショナルのことだ。

 

上阪徹さんは、雑誌やネット媒体で経営者など数多くの著名人へのインタビューを行ってきたことで知られる。ユニクロの代表取締役である柳井正さんや、京セラ創業者の稲盛和夫さんなど各界3,000人以上に取材。ブックライターとしても、著者としても数多くの書籍を世に送り出してきた。

 

書籍が出版され、初版(初回印刷本)の売れ行きが好調だと、重版(再印刷の本)のオーダーがかかる。業界内では、初版で終わってしまう書籍が全体の7〜8割に上ると言われているが、上阪さんの担当書籍は7〜8割もの確率で重版がかかっているという。これは驚きの数字だ。

 

もともとリクルートグループでコピーライターとして活躍していた上阪さんは、転職先が数カ月で倒産。後に、リクルートの別の職場で事務のアルバイトとして復職したという異色の経歴をもつ。そこからどうやって、自らのキャリアを形成していったのだろうか。上阪流・人生の乗り越え方に迫ってみたい。

花形のコピーライターから、時給850円のアシスタントに

 

 −−リクルートグループを退社し、フリーランスとして働くようになったきっかけは、何だったのでしょうか。

 

リクルートグループではコピーライターとして、求人広告などを制作する部署で働いていました。そこで会社の先輩に誘われて、引き抜きのような形で移った職場が、入社後3カ月で倒産してしまったんです。

 

−−転職先が3カ月で倒産! それは辛いですね……。

 

シンクタンクのようなものをやろうとしているベンチャーでした。会社には若い後輩がたくさんいたので、失業保険の手続きを一緒にしたり、自分は後回しにして再就職の世話をしたりしているうちに、自分の再就職先が見つからないまま時間だけが経ち、気づけば無職になっていました。当時は絶望的な気持ちになったのを覚えています。

 

毎日、やることが何もないんですよ。今も記憶に残っているのが、真夏にエアコンもかけずに部屋の窓を開けて、ずっと音楽を聴き続けていたこと。何も人の役に立っていないという実感は、本当にキツイものです。抜け出そうとしても何をしていいかわからず、時間ばかりが過ぎていきました。電車に乗っても周りの人たちから、「失業者だ!」と笑われ、指をさされているのではないかと感じるほど、追い詰められていきました。

 

−−未来に光が見えた瞬間って、覚えていますか?

 

手持ちの資金が完全に尽きかけたときのことです。リクルート時代の職場の上司が、僕が仕事を失い困っているという話を聞きつけて、電話をくれました。「大丈夫か!?」と聞かれたので、素直に大丈夫ではなく、お金がないということを伝えました。そしたら、ものすごい剣幕で怒られました。「カッコつけてないで丸井でお金を借りて、今すぐ会社に来い!」と。その時持っていたカードが、丸井のカードだったんですよ(笑)。一文無しだと何もできないので、とにかく当座の現金を持つようアドバイスしてくれたわけです。当時、目白に住んでいましたが、新宿まで歩いて行って、20万円を借りてその足で銀座のリクルート本社へ向かいました。

 

−−上司のおかげで、なんとか持ち直すことができたのですね。

 

本当に助かりました。というのも、当時、リクルートは退職してから半年は、フリーランスとして仕事を受けることはできないという決まりがあったんです。でも、アルバイトなら現金収入になる。ただ、事務のアルバイトです。上司は、元々いた部署だとやりづらいだろうからと、編集系の部署に話をつけてアルバイトとして放り込んでくれました。その日から時給850円の編集アシスタントとして働くことになったのですが、3カ月前までは曲がりなりにもクリエイターとして働いていた会社です。そこで、アンケートを封筒に詰める仕事を毎日やるわけですから、プライドはズタズタでした。

 

−−以前はコピーライターとして花形部署にいたのに、単純な業務をしなければいけないことへの葛藤はなかったのですか?

 

なかったわけではありませんが、そんなことを言っている場合ではありませんでした。食べていくためにはそこで働くしかない。だから、目の前にある仕事を一生懸命やるだけでした。無職の時期と比べたら、人の役に立てるというのは、素晴らしいことでしたし。時給制のアルバイトだからと、手を抜くこともありませんでした。

 

毎日たくさんの郵送物を黙々と準備したりする姿を見て、その部署の上司が評価をしてくれました。「フリーになったらすぐ一緒に仕事をしましょう」と、受注が解禁になる前からオファーを約束してくれたのです。その後、晴れて正式にフリーランスとして活動できることになりました。

 

−−とはいえ、フリーランスに固定給はありませんよね。事業計画はきちんと立てたのでしょうか?

 

いいえ。依頼が来た仕事は全て受けていました。独立してからは自分の状況を考える暇はありませんでしたね。仕事をいただけることがうれしくて、かなり無理をしていました。依頼してくれた人のために頑張ろう、と。

そのうち、会社員だった頃は取りたくても取れなかった、広告賞にも次々にノミネートされるようになりました。よく考えたら当たり前なんですが、以前の僕は自分の見栄のために賞が欲しかったんですね。そんな目的では、賞が獲れるわけがない。フリーになってからは、広告を依頼してくれたクライアントのため、それを見る人たちのために仕事をしていました。そうすると、次々に賞をいただけるようになったんです。

 

また金融系の求人広告を手がける機会が多かったことから、最終的には大手銀行や大手保険会社のほとんどの採用広告のお手伝いをすることになりました。そうすると、金融に詳しいコピーライターがいる、という噂を聞きつけた大手広告代理店から声がかかり、やはり金融の仕事をすることに。その流れで、ある銀行から初めてブックライターとして本を書く依頼をいただいたんです。そこから徐々に、本を書くことがメインの仕事になっていきました。広告会社にも、出版社にも、僕は営業というものを一度もしたことがないんです。

落ち込みのない人生は、成功の起伏も小さい

 

−−ブックライターとして、これまで多くの経営者や著名人にインタビューされています。どんな学びがありましたか?

 

何事もなく平坦に右肩上がりの人生を歩んでいる人は誰ひとりいない、ということでしょうか。インタビュー中に、「大きな挫折は何もない」と答える人がいます。けれども、よくよく話を聞いてみると、とんでもない厳しい状況を乗り越えていたりする。本人にとってはそれが当たり前になっているので、挫折ですらないということなのでしょう。

 

成功者には、自分の未来をプランニングしていたという人は、意外にもあまりいませんでした。とにかく目の前のことを懸命にやっていた人が多い。それは僕自身もそうでした。将来のことなど考えず、今やるべきことを必死でやる。それこそ不確実性を楽しみ、自分を信じて目の前のことをやることで、その時々のベストな場所に連れていってもらえると思っていました。むしろ先に未来のイメージを固定してしまうと、意識に制限がかかってしまい、そのイメージまでしか到達できない。だから、未来は描かない方がいい、と。実際、びっくりする未来が待っていたんですよね。

 

人生って、不条理で、不平等で、甘くないものです。楽に頂には立てない。大きな成功を目指したいのであれば、凹みも大きいことを覚悟しなければいけません。そもそも挫折はあって当たり前なんです。たとえ安定していると言われる公務員であっても、その可能性から逃れることはできない。もし打たれ弱くて立ち向かうことを諦めてしまうなら、人生はとても寂しいものになってしまう気がします。

 

僕自身はやはり無職の経験が強烈だったので、あの時期に比べればそれ以降の失敗や壁を感じることは何でもないと思えます。壁って一度向き合ってしまえば、実は大したことがないケースが多いものです。

 

−−上阪さんのように、失敗を乗り越える秘訣はありますか?

 

自分を信じること、ですね。自分の運を信じる。あとは、毎日を正しくきちんと生きることです。例えば、日頃から敬語を使えない就活生は、就職活動のハウツー本をいくら読んだとしても、採用の面接官はお見通しです。言葉に限らず、ちゃんと掃除をする、遅刻をしないといった日頃の行いができないと、いざという時にボロが出てしまいますから。

 

あとは、ポジティブでいることかな。成長の過程で、つらいことは必要不可欠です。嫌いな上司がいたら、ラッキーだと思えばいい。だって自分が上司になった時に、なってはいけない姿をデータとして集めることができるじゃないですか。

 

それと、余計なことは考えず、とにかく目の前の仕事を一生懸命にやることです。僕の場合は、信頼してくれる編集者のため、読んでくれる読者のために、ただ一生懸命に本や記事を作ることがそれにあたります。だから、仕事はオファーをいただいた順に受けることにしています。それ以外のことはほとんど考えない。

人生のすべてを、美味しいビスケットにしちゃえばいい

 

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−−辛い時期に支えられた言葉や本などはありますか?

 

村上春樹さんの『ノルウェイの森』です。もちろん物語として素晴らしい作品ですが、僕は仕事がなくて辛かった時に、自己啓発本として読んでいました。名言がたくさんあります。座右の銘にしているのが、その中の「人生はビスケットの缶と思えばいいのよ」という言葉です。

 

ビスケットの缶にはいろいろなビスケットが詰まっていて、好きなのと好きじゃないのがある。先に好きなのを食べてしまうと、後には好きじゃないのばかり残ってしまう。逆に考えれば、いま嫌なことがあるなら後が楽になる。人生はビスケットの缶なんだ、みたいな意味で使われていました。

 

僕はこの部分を自分なりに解釈して、「好きじゃないビスケットがあれば、あえて先に食べてしまえば後は美味しいものだけ残る」「ビスケットを美味しいかそうでないかを決めるのは自分だから、全部美味しく食べられる自分になればいいんだ」と捉えていました。

 

−−もしも今、目の前に若い頃の自分がいたら、どんな言葉をかけられますか?

 

まずは「悩むより、将来を楽しみにした方がいい」と伝えますね。22歳の時、卒業旅行で中国・香港を回りました。バックパックを背負って、1か月5万円で過ごすという超貧乏旅行で、宿泊先もドミトリーと呼ばれる大人数が泊まる大部屋でした。そんな旅をしている時に、憧れを持って「いつかここに泊まりたい」と見上げたのが、ザ・ペニンシュラ香港だったんです。でも、まさにこのホテルにちょうど数日前に宿泊してきまして。部屋から見える夜景がとても素晴らしかった! 未来にはびっくりするようなことが、現実に起こるんですよ。

 

不安って漠然としているから、モヤモヤして余計に怖く感じてしまうことがあります。強く不安を感じるなら、一度紙に書き出してみるといいですよ。きっと、具体化されるとその悩みは、そんなに大したことじゃないことに気づくはずです。

 

反対に、今のラッキーを書き出してみるといいと思います。思っていたよりも自分は幸せなんだと気づくのではないでしょうか。だって、平和で豊かな日本に生まれただけで、すでに95点をもらえているようなものだと思うんです。残りの5点を、どう得ていくか考えればいい。自分を信じることさえできれば、既存の枠を超えたすごいことがやって来る可能性は充分にあると思います。

 

(小松田久美+ノオト)

 

 

上阪徹さん

 

1966年、兵庫県生まれ。早稲田大学商学部卒。リクルート・グループなどを経て、94年よりフリー。経営、金融、ベンチャー、就職などをテーマに、雑誌や書籍などで幅広く執筆やインタビューを手がける。著書に『ビジネスマンのための新しい童話の読みかた』『成功者3000人の言葉』など。インタビュー集に40万部のベストセラーになった『プロ論』など。他の著者の本を取材して書き上げるブックライター作品も60冊以上に。

 

公式ウェブサイト/http://uesakatoru.com

 

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