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書を捨て谷に出よう!2つの世界を行き来するワーク・ライフ・バランスのすすめ(寄稿:皆川典久)

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仕事の世界と趣味の世界


こんにちは。東京スリバチ学会会長の皆川です。


学会会長という肩書きで活動もしていますが、仕事は建設会社の設計部門に所属し、オフィスビルやマンション、商業施設などの建築設計を手掛けています。


小学生の頃、上京の折りに原宿の国立代々木体育館に衝撃を受け、建築の設計を通じて、自分が味わった感動を他の人にも与えられたら……などと大胆にも思い、建築家になることを夢見ました。現在は会社組織の中ではありますが一級建築士を生業とし、設計図と向き合う毎日を過ごしています。現実の設計業務はイメージと違って地味な作業が多いのですが、図面に描いた構想が、世の中に立ち現れる場面では、この仕事に就いた喜びを実感しています。


一方の趣味の世界では、大好きな町歩きの延長線上で前述した「東京スリバチ学会」なるものを15年前に立ち上げました。休日などには東京スリバチ学会の会長として、都内に点在するスリバチ状の窪地や谷間を探し求めています。「学会」といっても学術的な研究を行っているわけではなく、同じ趣味を共有する人たちの集まりにすぎません。友人たちが自分のイベントに参加する際、「学会に出席する」と言えば、家族の理解が得やすいだろう、程度の軽いノリです。


サラリーマンとしての平日の顔(ワーク)と、東京スリバチ学会の会長という別の顔(ライフ)を使い分けながら、異なる「世界」を楽しんでいます。新聞記者がスーパーマンに変身する、ってほど劇的で格好良くはありませんが、2つの世界を行き来することで、見えてくるものもありそうです。どこまで参考になるかは分かりませんが、ワーク・ライフ・バランスのひとつの事例なのかもしれないので、ご紹介させていただきます。

スリバチとは? 東京スリバチ学会とは?


「東京スリバチ学会」について、もう少し詳しくご紹介しておきたいと思います。まずは「スリバチ」についてですが、東京の都心・山の手と呼ばれるエリアは坂が多いことで知られていますが、それは起伏に富んだ特色のある地形の上に町があるためです。下記の地形図をご覧ください。


東京都心部の凹凸地形を表現した地形図*1(国土地理院の5m標高データを「カシミール3D」で加工したもの)

山の手台地には皺のような無数の谷筋が描かれていますが、それらは川が流れてつくられた地形で、川の水源もこの山の手台地に存在しています。水の湧き出る場所、あるいは水が湧き出ていた場所は、3方向を高台に囲まれたスリバチ状の窪地となっている場所が多いのですが、そういった谷の最奥部を「スリバチ」と名付け、観察と記録を続けているのが東京スリバチ学会なのです。


東京スリバチ学会の主な活動は地形図や古地図を見ながらの町歩き。月に1回くらいのペースで、自分が地形的に興味を持ったエリアで参加自由の町歩きイベントを開催。ブログで告知し、現地集合・現地解散、参加費無料、でも自己責任ということで広く参加者を募りました。イベント後、歩いて気付いた地形の面白さや、地形と町の関係性などについて、ブログで感想や考察などの趣味的記事を発信し続けていました。怪しげな活動ですが、目標などは特に掲げずにマイペースで続けているうちに参加者も徐々に増えてゆきました。


東京スリバチ学会のフィールドワークの様子

継続は力なり? 学会活動は15年目に突入!


20年ほど前、会社の先輩がこんな言葉をかけてくれました。「どんなことでも10年続けていると、何かしら成果が得られるはずだよ」。建築設計という仕事は、図面に描いても全てが実現するわけではありません。クライアントの都合や社会情勢などで設計変更があるのは当たり前だし、プロジェクトそのものが頓挫することだってたびたびです。何よりも自分たちが理想とする建築を実現できるのは極めてまれなこと。夢の実現を急ぐ自分に対し、現実の厳しさを諭し、でも諦めずにコツコツと取り組み続けることの大切さを、励ましながらも教えてくれたのだと思います。その先輩とは、日常の業務に加え、休日を返上して勉強会を開催したり、一緒に雑誌の寄稿に取り組んだりもしました。


一方、東京スリバチ学会の活動は今年で15年目に突入しました。少人数で続けていたフィールドワークも参加者が増え、先輩が言っていたように10年続けていたら、いろいろなことが起きました。スリバチブログを読んでくれたある出版社から本を出す機会を頂いたり、ラジオやテレビ番組から出演のオファーを頂いたりもしました。母校である東北大学の建築学科では、東京スリバチ学会の会長として講座や研究の場を与えていただきました。


フィールドワークだけでなく、都市を見つめ直すワークショップを実施

学会の認知度も高まり、「地形に着目して町の魅力を発掘する」手法が評価され、2014年には『グッドデザイン賞』にも選定されました。受賞の際にはその「手法」だけでなく、誰もが参加できるスリバチ学会というプラットホームを継続的に提供し、情報発信を続ける「活動」や「取組み」も評価されたのでした。


リアルな東京を知ることができるとして、海外の人たちにも人気があるスリバチ学会のツアー

東京スリバチ学会というプラットホーム


東京スリバチ学会の集まりでは、社会的な肩書や地位は特に意味を持ちません。東京特有の凹凸地形を愛でる楽しみを共有するだけなので、世代や性別・国籍をも越えて共感者がフラットに集まっています。ノルマがあるわけではなく、団結もしない緩い学会活動の中で、仕事の世界だけでは決して得ることのできない貴重な出会いや、広い付き合いを得ることができました。


「スリバチ学会」というネーミングからか、集う人たちも趣味人*2が多く、皆さん個性が光っていました。これが例えば「地形学研究会」とかだったら、また違う道を歩んでいたと思います。スリバチ学会に集まったのは、地理や地学に興味を持つ人だけではなく、暗渠(あんきょ*3)マニアやマンホールマニア、なぜか団地マニアや排気塔マニアなど多種多様な人たちでした。マニアと呼ばれる人たちは皆、好きなものに対するこだわりや愛が尋常ではなく、自己表現や情報発信に、自分も引き込まれてゆきました。スリバチ学会のイベントで一緒に歩いていても、関心事は人それぞれで、逆に自分自身がモノの見方や解釈の違いなどを学ぶことができました。気付くことの大切さを教えてもらい、目からウロコなんてことも多く、お互いが刺激をし合いながらの楽しい活動となりました。


どんな町にもその土地特有の地形があります。そしてそれが町の文化や歴史に深く関係していたりします。マニアックと思われた自分たちの活動にも、ある種の普遍性があるようで、SNS等を通じて共感の輪が全国に広がり、連絡を取り合う仲間も増えました。東京スリバチ学会として地方へ遠征し、地元の方々と一緒に町歩きイベントを開催すると、地元の人たちが自主的にスリバチ学会を立ち上げてくれたりもしました。宮城スリバチ学会や名古屋スリバチ学会、フィレンツェスリバチ学会など、ご当地スリバチ学会が立ち上がり、地元でのコミュニケーションの場に育っているようです。


また、東京スリバチ学会で出会った人たちがチームを組み、コンペで仕事を勝ち取った例もありました。地図オタク、グルメライター、町づくりコンサルといった、個性豊かな女子3名がタッグを組んで提案コンペに応募し、自治体からガイドマップ作成の業務を受注したのでした。

それって仕事の役に立つの? 「無駄」は必要不可欠の知識だった


東京スリバチ学会の活動が世に知られるようになると、会社の人たちも関心の目を向けてくれます。一番多い質問として「それって仕事の役に立つの?」というのがありますが、「建物を設計するのに地盤情報は大切だからさ」と返答すると多くの人は納得するようです。しかし、自分が思うことはそれ以上にあります。


仕事では無駄だと思っていた知識や情報が、実は役に立つこともあるのです。都市の地形は防災上の観点でも知るべき情報だと思いますし、町の成り立ちはその土地の特性と深く関係しています。立地特性を分析し、建築計画に昇華させることは、建物の意味付けを深化させ、提案の説得力も増します。他社と提案力を競うコンペなどの場合、より広い視点から分析を試みた具体性のある提案は、クライアントの心に響くことが多いようで、ありがたいことにご用命いただくことが多くなりました。


東京の町の成立ちは、土地の高低差と深く関係している。この写真からは高層建築は高台に、低地に低層建物が密集している様子が分かる


東京の町は江戸の土地利用の上に成り立っている。地形に着目することは土地の歴史を知るきっかけとなる


設計に臨むスタンスにも影響がありました。建築設計という仕事は、理想を追求するあまり、自己の領域にこもる傾向があると思っています。そんな状況では、設計作業も行き詰ることが多いようです。そんな時、町の観察者のように、一歩引いた目線で対象を眺め、プロジェクト全体を俯瞰し、冷静に自分の状況や相手の立場を考えてみることで解決への糸口を見出せることがあります。建築設計には社会性が欠かせませんが、実務に追われるとどうしても計画者の視点、建設者側の立場になりがちです。しかし、使う側・生活者の視点での発想も必要不可欠なはずです。異なる視点からバランスを保ち最適解が導き出せれば、プロジェクトは結果的に成功へと向かうはずなのです。


そしてもうひとつ、マニアックな人たちと接して気付いたことですが、どんなものにだって固有の物語が隠れているということです。何でもないと思っていたこと、あるいは小さなものにだって独自の世界があり、気付きさえ得られれば自分たちはそこから感動を得られるし、与えることもできるのです。仕事に置き換えれば、国家プロジェクトのような仕事に限らず、どんな仕事でも人に喜びを提供できるし、豊かさをつくり出すことができるのです。

「仕事」が「趣味」にも生かされている?


反対に仕事での経験や手法が「趣味」である東京スリバチ学会の活動に与えたメリットがあるか振り返ってみました。建築設計のプレゼンは図面や言葉を駆使して、クライアントに納得してもらえるかが肝心です。専門的な説明も伝わらなくては意味がありません。そんなわけでスリバチ学会からの情報発信では相手に伝わること、分かりやすさを第一義に考えました。自分は地理や地学の専門家ではないので、分析や説明の説得力には限界を感じますが、その代わり素人目線で意味を伝えるよう心がけることで、多くの方にスリバチ学会への興味を喚起できたと考えています。


設計の主旨を相手に伝えるために自分たちは簡潔で分かりやすい「キャッチコピー」を用いることがあります。その延長かもしれませんが、東京スリバチ学会の成果を発表する際、なるべく短いセンテンスで言いたいことを伝えるよう心がけました。みんなはそれを「スリバチポエム」と嘲笑しているのですが(笑)。いくつかを紹介すると、「スリバチの空は広い」「全てのスリバチに物語がある」「町のくぼみは海へのプロローグ」「谷を流れた川は一筋ではない」といった感じです。何のことか分からないと思いますが、具体的な意味を知りたい方は、拙書『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)をお手に取っていただけたら幸いです。


凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩(洋泉社)

閉じた世界にこもることなく、書を捨て谷に出よう


2つの世界を行き来しながら、2つの人格(キャラ)を演じるのも楽しいものです。建築設計者としての顔(ワーク)と、スリバチ学会会長としての顔(ライフ)。でも今はどちらがアバター(化身)なのか自分でも曖昧になってきました。


自分の場合、もうひとつの世界を持つことで、閉じがちな「会社」という世界だけでは得られなかった人との出会いがあったし、チャンスにも恵まれました。視野が広がっただけでなく、世界も広がりました。そしてそれが結果的には仕事にも生かされていると自負しています。思えば誰もが複数の世界を掛け持ちしているのではないでしょうか。会社・家族・友達付き合い・サークル活動……それぞれの自分を演じながら、視点を変えてみる、視野を広げてみることで、気付くこともあると思います。


自分がおすすめするのはやはり町に出てみることでしょうか。予想外の出会いが待っているかもしれません。「書を捨て谷に出よう」なのです。そして、いつもと違う道を行くのも良いかと思います。メインストリートだけではなく、わき道に逸れ、寄り道するのもいいものです。「わき道に逸れてみたらそこは『スリバチ』だった」があなたにも訪れるかもしれないのです。

著者:皆川典久(東京スリバチ学会 会長)

 

2003年に東京スリバチ学会を設立し、凹凸地形に着目したフィールドワークを開催、観察と記録を続けている。2012年に『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩』(洋泉社)を上梓、翌年には続編を刊行。地形マニアとして、タモリ倶楽部やブラタモリなどのTV番組に出演。町の魅力を再発見する手法が評価され、2014年には東京スリバチ学会としてグッドデザイン賞を受賞した。2017年12月には『凹凸を楽しむ東京「スリバチ」地形散歩・多摩武蔵野編』(洋泉社)を共著で刊行。合言葉は「下を向いて歩こう」。

 

*1:この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の電子地形図(タイル)を使用した。(承認番号 平30情使、第664号)

*2:趣味に生きる人

*3:外から見えないようになっている水路