はたラボ

「抱いてセニョリータ」は約3時間で書いた。限られた時間の中で最良の言葉を紡ぐ、職業作詞家・zoppさんの仕事術

f:id:blog-media:20190403105458j:plain

作詞家のzoppさん。「青春アミーゴ」「抱いてセニョリータ」など、ジャニーズ事務所所属アーティストの楽曲を中心に、数多くの作詞を手掛けてきた。

今でこそ売れっ子のzoppさんだが、最初の1曲を世に出すまでの道のりは長かったという。書いても書いても採用されず、いつしか「ボツ」の曲数は180を超えた。それでも腐らずトライ&エラーを積み重ねた結果、ついに希代のヒット曲が生まれる――。

今回は、そうした研鑽の日々の苦悩や作詞家の道を歩むに至ったきっかけ、さらには「売れる曲」を求められる「職業作詞家」としての仕事術など、zoppさんの「人生と仕事」について伺った。


10代を過ごしたアメリカで、作詞の面白さにのめり込む


── zoppさんは10代の頃、アメリカで暮らしていたそうですね。


zoppさん(以下、zopp):アメリカの高校と大学に通ったので、向こうの影響をかなり受けました。アメリカは多文化、多人種が交じり合っていて、青春時代にそういうものとたくさん触れ合ったことが、僕のベースになっていると思います。


── 16歳で単身アメリカに渡ったとのことですが、どういった経緯で?


zopp:最初は日本の高校に通っていましたが、成績が急降下し、親に強制的に留学させられました(笑)。このままじゃダメな子になると思ったんでしょうね。高校最初のテストは学年3位だったんですよ。それが、遊びに走った結果、2学期の期末テストではビリから5番目に……。


f:id:blog-media:20190403105904j:plain


── かなり落ちましたね。


zopp:そう、それでいきなり親が「夏から留学するから準備しなさい」って。準備も何も、親がもう学校にも伝えていたから、身支度を整えるくらいしかなかったんですけどね。


ただ、アメリカに行かなかったら作詞をすることもなかったでしょうから、今思えば大事な時期だったと感じます。


── 作詞との出会いは?


zopp:僕は人と会話することが好きだったので、留学当初は周囲とうまくコミュニケーションできないことがつらかった。それをホストマザーに相談したら、「音楽を聴くのが好きなら、洋楽の歌詞を訳してみたら?」って言われたんです。


そこから訳詞を始め、それまでは「サウンド」として聴いていた洋楽の歌詞の意味が分かってくると、歌詞って面白いなと感じるようになりました。洋楽の歌詞は日本のJ-POPとは全然違って、それが衝撃的だった。


── 日本語の歌詞とは何が違うのでしょうか?


zopp:比喩表現が独特だったり、かと思えば生々しい体験談をストレートに書いていたりする。HIPHOPの歌詞なんて「刑務所で筋トレしてた」とか普通に言っちゃってますからね。刑務所とか出てこないでしょ、日本の歌に。


あとは、「his」「her」という人称代名詞がよく出てくるんですけど、この「彼」「彼女」というのが誰のことを指すのか分からなくて、ホストマザーに聞いたら「his」は「神」で、「her」は「マリア」だって言うんです。つらい時にキリストを思うとか、マリアを感じるとかいう感覚って、日本人の感覚ではなかなかないじゃないですか。


そういう、国のベースにある宗教や文化的背景が、歌詞を通して見えてくるのが楽しかった。アメリカの歴史を旅していくような感覚がありましたね。


── そこで歌詞の面白さに目覚め、ご自身でも作詞をするようになったと。


zopp:そうですね。ただ、当時はあくまで趣味の一つで、作詞家になりたいとまでは思っていませんでした。そもそも作詞をする専門の仕事があるなんてことも知りませんでしたから。


当時の歌詞を今読み返すと、ダイヤモンドに突き刺さるんじゃないかってくらい、ものすごく尖っているんですよ。多感な時期でしたからね。「墓場の土を掘り起こしてみたら、未来の自分がいた」とか、「死体置き場で人が燃える臭いを嗅いで、食事が喉を通らない」とか……、なんか恥ずかしいですね(笑)。


── J-POPの歌詞としてはエキサイティング過ぎますね。


zopp:こんなの、アイドルには絶対歌ってもらえないですよね(苦笑)。そもそも、コンプライアンス的に無理か。


f:id:blog-media:20190403110134j:plain


「ボツ」を食らうこと180曲。それでも書き続けた


── 趣味で始めた作詞を、「仕事」として意識するようになったのはいつからですか?


zopp:大学の専攻もコンピューターテクノロジーで作詞とは全く関係なかったですし、社会人になってからですね。日本に帰ってきて、今も所属している音楽制作やアーティストのマネジメントをする会社で、最初は営業やディレクターの仕事をしていました。そのうち、芸能事務所やレコード会社の人と仲良くなり、「営業以外に何かできないの?」と聞かれ、趣味で作詞をしていますと。「なら、書いてみたら?」っていう流れですね。それで、22歳の年末から会社でマネジメントしている作曲家のメロディーに歌詞をつけたり、コンペに参加したりし始めました。


── 当初は、なかなかコンペを通過することができなかったとか。


zopp:なかなかというか、「全く」でした。書いてはボツの繰り返し。1年弱、180曲以上がボツになりましたよ。当時は1曲書くだけでもすごく苦労しましたけど、お金になるとか、仕事になるとかは二の次で、とにかく書きまくりました。


── 心が折れそうになることはありませんでしたか?


zopp:当時、会社でマネジメントしていた作曲家の方も僕と同じような状況で、あまりチャンスに恵まれていなかったんですね。彼らを応援したい、いい刺激を与えたいという思いもありました。僕の詞が採用されるようになれば、作曲家の方にもチャンスが来るかもしれないし。僕はたまたまレコード会社のディレクターの方々にかわいがられていたこともあって、自分がみんなの起爆剤になれたらという一心でした。


これは今も同じで、周囲の後輩やこれからクリエイターを目指す人たちに良い影響を与えられる存在になりたいと思っています。


f:id:blog-media:20190403110507j:plain


── 多くの不採用を経て、気付いたことはありますか?


zopp:一番は「作品を俯瞰してみる」こと。自分が書いたものってすごく愛しくて、ボツになってもかわいく思えてしまう。そのせいで目が曇るというか、採用された歌詞と比べてどこが劣っているのか分からなくなってしまっていたんです。


そこで、街中に出て、自分が書いた歌詞について意見をもらうことにしました。その頃からジャニーズのコンペに参加させてもらうことが多かったので、ジャニーズが好きそうな人に声をかけて。貴重なヒントをたくさんいただきましたよ。


── 具体的には?


zopp:例えば、「このフレーズはカメラに抜かれたときにキメ顔で言ってそう」とか。それは大事な要素だと思い、メインの歌い手がカメラに抜かれそうな曲の終盤のあたりで「女の子が言われたい言葉」や印象的なフレーズを必ず入れるようにしました。山下智久さんの『抱いてセニョリータ』も、最後に「じれったいのよ」という言葉を入れています。「じれったいんだよ」だと普通なので、彼のような超イケメンに「じれったいのよ」って言わせたら、どういう化学反応が起こるんだろうって。


── まさにトライ&エラーですね。ただ、そうやってファンが望むものに寄せていくと、自分のカラーを出せなくなったり、本当に書きたいものが書けなくなったりするのでは?


zopp:そういう葛藤はありませんでしたね。売れることも大事ですし、「ファンの人たちに愛されるものを作りたい」という思いが強かったですから。街中でジャニーズ好きの中高生にモニタリングすると「○○君にこんなこと言われたら倒れるよね」って、うれしそうに語ってくれるんですよ。なぜか、倒れたい願望があるんですよね(笑)。じゃあ、同級生の男の子が絶対に言わないキザなセリフを入れようとか、聴く人が幸せな気分になるような歌詞を考えようっていう方向に意識が向くんです。


── かつて墓場の歌詞を作っていた人とは思えない変貌ぶりですね。


zopp:まあ、今も根っこには、そういう黒いものがあるんだと思います。ジャニーズの真っ白な世界観とは正反対ですよね。でも、だからこそ冷静かつ俯瞰して作詞ができるんだと思います。変に自分の気持ちが入ると、エゴになってしまうので。完全なるフィクションを作るときは、「自分らしさ」は邪魔になる気がしますね。


── そうした研鑽を経て、少しずつ歌詞が採用されるようになったわけですね。


zopp:2003年に初めて採用されて、以降はポツポツと、それでも年に2曲決まればいい方でしたけどね。潮目が変わったのは、やはり2005年に書いた『青春アミーゴ』(修二と彰)からですね。


── 青春アミーゴは160万枚以上を売り上げる大ヒット。時代に名を残す一曲になりました。成功したことで、人生も大きく変わったのでは?


zopp:それが、成功したみたいな実感は全くなくて。『青春アミーゴ』をきっかけに急に仕事が忙しくなったのと家族が入院したことで、仕事やらお見舞いやらでしばらくバタバタだったんですよ。ちょうど年末年始にかけて大きな音楽番組があって、修二と彰も引っ張りだこだったんですけど、ほとんどリアルタイムでは見られていないですからね。


印税も支払いは半年後だったので全然貧乏でしたし、作詞家の名義も本名じゃないから友人・知人も僕が作ったことを知りませんでした。ただ、それまで売れない時期に鼓舞し続けてくれたレコード会社の方がすごく喜んでくださったので、僕としてはそれだけで十分かなと。


f:id:blog-media:20190403110741j:plain


独学で身に付けた、作詞の極意


── 作詞のテクニカルな話をお聞きしたいのですが、zoppさんが作詞で大事にしていることは何ですか?


zopp:「言い過ぎないこと」ですかね。全てを事細かく説明せずに、聴く人に「考える余白」を作ることは心がけています。例えば、食事に行ったシーンを歌詞に盛り込むとき、「中本の北極*1を食べた」だと説明し過ぎですよね。中本好きの人にはピンポイントで共感してもらえるかもしれないけど、余白がなさ過ぎる。


これを「ラーメンを食べた」→「麺類を食べた」→「ランチを食べた」といった具合に広げていくと、余白も大きくなります。ただ、ストライクゾーンを広げ過ぎると、今度は共感の部分がぼんやりしてしまう。共感性と余白のバランスに、いつも悪戦苦闘している感じですね。


── そうした作詞のセオリーのようなものって、誰かに教わったんですか?


zopp:独学ですね。過去のヒット曲も随分研究しました。20年、30年と愛されている名曲って、全部出し切らない、ミステリアスな部分を残した歌詞がやはり多いんですよ。
そういうものに惹かれる人間の性質って、いつの時代も変わらない普遍的なものだと思うので、そこにはこだわっています。


f:id:blog-media:20190403110954j:plain


── では、zoppさんならではの武器は何でしょうか?


zopp: 歌詞のストーリーを「主観」で進めることですね。作品の評価や方向性、細かな言葉選びは「俯瞰」で見ることが大事ですが、物語は思いっきり「主観」です。基本的にはどの曲も「主人公」を仕立て、その”彼”の視点で展開します。主人公の目線で物語を展開させていけば、聴いている人は歌の世界に入りやすいのではないかと思ったんです。だから、メモ帳にはさまざまなキャラクターを常にストックしておいて、そこから登場人物をいつも選ぶようにしています。


そうしたスタイルのヒントになったのは、僕が学生の頃に大ヒットした『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』というホラー映画です。それまでのホラー映画は「引き」の視点で、主人公の背後からオバケが迫っていく状況をヒヤヒヤしながら観るというものでした。ところが、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』では、主人公自身が回すビデオカメラの視点しか描かれないため、次に何が起こるかまったく分からない。つまり、主人公と同じ恐怖をそのまま体験しているような臨場感が味わえるんです。


これは面白いぞと。それで、このアプローチを自分の作詞家としてのスタイルにしようと思いました。


── zoppさんはタイトルの付け方も秀逸です。「青春アミーゴ」「抱いてセニョリータ」など、インパクトのあるものが多いですよね。


zopp:作曲家の筒美京平さん*2と仕事でご一緒した時、「タイトルは人間で言うと『顔』」だとおっしゃっていたんです。例えば、筒美さんが『深い森』をイメージして曲を作ったとしても、僕が『ピコピコポン』というタイトルを付けたら第一印象がものすごく変わるでしょう。だから、タイトルっていうのは命懸けで考えないといけないんだって。


全盛期の小室哲哉さんよりも売れている、メロディーメーカーの仙人みたいな人の言葉ですからね。以来、タイトルにはより力を入れるようになりました。


── タイトルや歌詞の細部は〆切ギリギリまで考え抜くそうですね。時にはレコーディングが始まる直前まで妥協せず、言葉の精度を上げるとか。


zopp:大事な案件ほど時間がないので、ギリギリになることが多いですね。レコーディングが始まってから歌詞を修正することもありました。「とりあえずFIXしているAメロから録るから、その間にBメロ完成させてね」って。5分おきくらいに催促の電話が鳴ったりしてね。そういうエクストリームな現場も多かったですよ。レコーディングの現場に呼ばれてその場で直して、アーティスト本人たちの前で歌わされたこともあります。歌のプロの前で。あれは精神的にしんどかった(笑)。


f:id:blog-media:20190403111106j:plain


時間の縛りを設けることで、劇的にスピードアップ。今では1曲1時間で書けることも


── 作詞にあたって、「自分ルール」のようなものはありますか?


zopp:昔は1曲1日で書くルールを自分に課していましたが、今はその制限時間を3時間にしています。先ほど言ったように細かな修正作業はギリギリまで発生しますが、第一稿は絶対に3時間で、意地でも書き切る。時間ってあればあるだけいいというものではなくて、制限があるからこそ生まれるものもあると思うんですよ。


そもそも作詞自体が、メロディーの上げ下げや音の数といった制限の上に言葉をのせていくもの。そこに、さらに「時間」という制約を設けて作ったらどうなるんだろう?と考えたんです。今は最短1時間くらいで書ける時もありますね。「抱いてセニョリータ」は、3時間をちょっと超えるくらい。時給に換算したら、世界の長者たちと戦えるかもしれない(笑)。


f:id:blog-media:20190403111243j:plain


── それだけ仕事が速いと無茶ぶりされることも多いのでは? 明日までに1曲書いてください、とか。


zopp:一番短いので「7時間後」っていうのはありましたね。夜の12時に電話がかかってきて、「朝の8時から仮歌を録るんで、第一稿を7時にくれ」とか。その時は福岡にいたので、慣れないビジネスホテルで書きました。zoppさんだったら早く作れるでしょ?みたいなノリですね。ピザ屋じゃないんだから(笑)。まあ、でも速く書けて損はないですから。


どんな仕事でも、人それぞれこだわりってあると思うんです。でも、それは「定められた時間内で終わらせられるこだわり」にしないといけない。3時間と決めておくと、論理的にタイムスケジュールを作るようになります。30分でメロディーを把握する。10分でタイトルを考える。そこからサビ、Aメロ、Bメロ……という具合に時間配分をして、クオリティーを下げずに終わらせる方法が出来上がっていくんですよ。


── 最後に、これから挑戦してみたいことを教えてください。


zopp:ラジオのDJとかナレーションとか、「声」の仕事には興味があります。言葉を駆使するという点では、作詞家にも通じるところがありますので。あとは「靴」を作りたい。


── 靴、ですか?


zopp:そう、靴職人になりたい。スニーカーが好きなので。それはやりたいというか、近々やります。


それから「作詞クラブ」という学校を2007年から開校し、プロの作詞家を育成してきましたが、これも引き続きやっていきます。僕を育ててくれた世界ですから、この先も継続していくために後輩を育てて盛り上げていきたい。それは、僕らのように運良く認めてもらえた人たちがやるべきことだと思うので。


f:id:blog-media:20190403111405j:plain


取材・文:榎並紀行(やじろべえ) 編集:はてな編集部 撮影:松倉広治

取材協力:zopp

 

1980年生まれ。16歳のときにアメリカへ留学。勉強の延長線上として洋楽曲の歌詞を翻訳するうちに作詞に目覚め、作詞家を志す。2003年、ピポ☆エンジェルズの「5989 4989(コクハクシクハック)」で作詞家デビュー。以後、2005年のオリコン年間シングルランキングで1位を獲得した「青春アミーゴ」(修二と彰)をはじめ、「抱いてセニョリータ」(山下智久)や「ミソスープ」(テゴマス)、「SUMMER TIME」(NEWS)、「OVER」(Hey! Say! JUMP)など数多くのヒット曲の作詞を手掛ける。2007年、作詞のノウハウをレクチャーする「zoppの作詞クラブ」を開講。積極的に後進の育成を行い、プロの作詞家を多数輩出している。

 

*1:関東でチェーン展開する人気ラーメン店「蒙古タンメン中本」の北極ラーメン

*2:日本のポップス界のヒットメーカーとして知られている、日本を代表する作曲家。代表曲に「魅せられて」(ジュディ・オング)、「木綿のハンカチーフ」(太田裕美)など