はたラボ

圧倒的なデータと愚直な開発姿勢でランニングシューズをアップデートし続けるアシックスの生存戦略

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パフォーマンスランニングフットウエア統括部開発部長の臼木章さん。ご自身が開発を担当した2007年発売のGel-NIMBUS 9(左)と2008年発売のGel-NIMBUS 10(右)と共に

革新的な技術や新しい創造が求められ続ける時代。企業はどんなテクノロジーを手に入れ、どう進化していくのでしょうか。そして、未来へ向けてどのような地図を描くべきなのでしょうか。

その挑戦に向き合う担当者が、新しい技術を牽引していく過程での苦労を伺いながら、ダイナミックな企業変革のプロセスを明らかにしていく連載企画「Re:Born」。

第1回目に登場していただくのは、株式会社アシックス。「もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかしと祈るべきだ(Anima Sana in Corpore Sano)」という帝政ローマ時代の風刺作家ユベナリスの言葉を社名の由来に持つ、日本を代表するスポーツ用品メーカーです。

シューズからアパレル、用具そしてサービスまで、多岐にわたるビジネスを展開していますが、今回フォーカスするのはランニングシューズの開発について。世はまさにランニングシューズの戦国時代。テクノロジーが凝縮されたランニングシューズは、ランナーにとって第2の心臓といっても過言ではありません。そうした中、アシックスはどのような想いを賭けてランニングシューズを開発しているのでしょうか。パフォーマンスランニングフットウエア統括部開発部長の臼木章さんに聞きました。

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アシックス社内にある巨大な体育館


── アシックスのランニングシューズは、さまざまなシリーズが発売されています。開発におけるポリシーを伺えますか?


臼木章さん(以下、臼木):心掛けているのは、「ユーザーを裏切らないものづくり」です。例えば、サンプルが出来上がったときに、足を入れて、足当たりを確かめるのですが、フィット感に問題がないかを徹底的に検証します。特に、かかと部分のホールド性は、靴紐を締めてフィッティングするのは当たり前ですが、靴紐を締める前に履いたときに、どれだけかかとがフィットするかを追求しています。


── なるほど。ただ、人間の足のかたちや靴の基本構造は大きくは変わりませんよね。その前提がある中で、ランニングシューズはどのように進化しているのでしょうか?


臼木:ランニングは、「かかと着地→フルフラット(足裏が地面に平行につく)→トーオフ(つま先が離れる)」の一連の動きが基本です。そして、この動きをスムーズに、効率よく体現させ追求することが、ランニングシューズを作る我々の使命になります。


こちらには歴代のいろいろなシリーズのランニングシューズを展示しています。こちらを見ていただければ分かる通り、時代ごとに当時の先端技術やデザインを取り入れ、さまざまなランニングシューズを開発してきました。

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壁一面に歴代のランニングシューズが並ぶ


── これはすごい! ランニングシューズと一言で表しても、いろいろなタイプがあるんですね。


臼木:そうですね。アシックスのランニングシューズは、8大機能「フィット性・安定性・屈曲性・軽量性・耐久性・グリップ性・通気性・クッション性」に着目して開発を行っており、その中から何を強みにするかによってシリーズが分かれます。この機能を8角形としてみたときに、その面積が一番広く、はき心地も安定しているものが「GEL-KAYANO(ゲル カヤノ)」シリーズです。このシリーズは2019年秋の時点で26代続くロングセラー商品で、今では全世界で年間約300万足販売されています。その他クッション性に特化した「GEL-NIMBUS(ゲル ニンバス)」シリーズ、軽量性に特化した「TARTHER(ターサー)」シリーズという具合に、8大機能のどこを広げるかを主眼に置いてランニングシューズづくりをしています。


その背景には、トップアスリート向け製品はパフォーマンスをより重視し、一般の方向け製品はパフォーマンスの最大化と共にケガの予防にもより注力するというように、ユーザーごとに求められる機能をうまく組み合わせて作っていくようにしています。


── なるほど。機能をそれぞれ分けて多くの方のニーズに合わせているんですね。中でも「GEL-KAYANO」が長年愛されて続けている理由はなんでしょうか?


臼木:開発当時(90年代前半)、海外(特に欧米)ではランニングが人々の生活にとって身近で、気軽に健康増進を図れるスポーツとして認識されていました。その需要の高まりから、エントリーランナーの長距離トレーニング用として、足を怪我から守るというコンセプトのもと、「GEL-KAYANO」は開発されました。長年愛され続けている理由は、その一貫したコンセプト、信頼性の高い機能とテクノロジー、品質です。変わりゆく時代の中でも、さまざまなトレンドやブームにも影響されず、確実に売り上げを伸ばし続けています。


1993年の初代発売以降、1990年代後半ではハイテクスニーカーブームの衰退がありましたが、当社は世界的に評価の高かったランニングシューズに資源を集中した戦略を打ち出し、ランニングシューズの開発を本格化していきました。


── 当時、お店にはたくさんのハイテクスニーカーが所狭しと並んでいたことを思い出しました。その状況からどのように売り上げを伸ばしていったのでしょうか?


臼木:当時各地域でさまざまなランニングシューズが点在していましたが、グローバルで統一した商品を開発しました。なかでも着地パターン別の商品開発は重要なポイントでした。そして、2000年に、先ほどご紹介した8大機能をもとに、ランニング動作に必要な機能を最適な組み合わせで設計、配置する「IGS」という考え方を採用し、スポーツ工学研究所の知見を最大限に生かして機能性の向上を図りました。IGSを搭載した初めてのモデルであり、大きく機能性を向上させた「GEL-KAYANO 6」、翌年の「GEL-KAYANO 7」によって大きく売り上げを伸ばすことができたんです。


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(資料提供:アシックス)


臼木:そして「機能性を定量的に評価し、必ず前作を超えなければならない」というハードルを課し、定期的に新技術を投入するなど “継続的イノベーション”を現在に至るまで続けています。世の中のトレンドに流されるのではなく、独自性を貫いたことで、多くの人々に愛されるシリーズなったと考えています。


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(資料提供:アシックス)


臼木:例えば、2004年の「GEL-KAYANO 10」ではアッパー(シューズ上部)のフィット性を向上させるバイオモルフィックフィット機能、2010年の「GEL-KAYANO 16」では走行中の重心移動を安定させるガイダンスラインなどの新機能がそれぞれ高評価を得ました。


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(写真提供:アシックス)


臼木:また2016年の「GEL-KAYANO 23」では、当時アシックス史上最軽量のミッドソール素材「FlyteFoam」を採用し、2017年の「GEL-KAYANO 24」ではかかとの安定性とフィット性を向上させた独自構造のヒールカウンター「メタクラッチ」を搭載するなど、現在も進化を続けています。

オンリーワンから300万人まで。あらゆるランナーの足元を守る


── 単に、軽いシューズを開発すればいいといった簡単な話ではないのですね。ランニングシューズ開発の難しさはどんなところにあるでしょうか?


臼木:トップアスリート向けのランニングシューズですと、その選手だけに特化したものづくりができるのですが、「GEL-KAYANO」のように一般ランナー向けのシューズは、先ほどもお伝えした通り、全世界で年間約300万足販売されています。つまり約300万人の足に合うシューズを開発することになるので、それはそれで難しいですね。


── 300万人にフィットする足型なんて作れるんですか?


臼木:そこがアシックスの強みだと思うのですが、足型の蓄積がとても豊富なんです。2006年までは、日本人の足幅の方が外国人と比べると広いという、社会通念がありました。ただ、もう一度よく調べてみようと、弊社の担当部門が各国に出張し、現地で老若男女の方々の足型を改めて計測。グローバルで統一した足型を作りました。さらにそこから複数回見直し、足型を進化させてきました。


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── 現在も足型計測は続けているのでしょうか?


臼木:はい、全世界の弊社直営店では3次元足型計測を実施しており、自分の足に合ったランニングシューズ探しに役立ててもらっています。そして現在では、全世界で約100万人の足型データを蓄積しています。一般のランナーの方ですと、実は靴が合っていないことが多いので、自分の足型はどのサイズでどんなランニングシューズがフィットするのかを確かめてほしいです。


── 膨大なデータをもとに開発を進められているんですね。


臼木:アシックスにはスポーツ工学研究所があります。大学の研究室に引けを取らない施設が整っており、「スポーツで培った知的技術により、質の高いライフスタイルを創造する」というビジョンを具現化する、アシックスの基幹を担う部門です。 人体の特性や使用者の視点を念頭に置いた「Human centric science」にこだわり、人間の運動動作に着目・分析し、独自に開発した素材や構造設計技術を用いることによって、アスリートのみならず、世界の人々の可能性を最大限に引き出すイノベーティブな技術、製品、サービスを継続的に生み出すことを使命としています。


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── 最新技術の研究も盛んに行われているんですね。その最新技術が生かされたランニングシューズについて教えてください。


臼木:最近の開発で言えば「METARIDE(メタライド)」です。プロトタイプは70種類ほど作り、走行中のエネルギー消費を検証。走行中の足首の動きをコントロールして、長く、楽に走れるようにというコンセプトで、自然と足が動くようなシューズとなっており、通常のランニングシューズとは一味違うものになっています。新たなランニング体験を実現させるべく開発した、イノベーティブなシューズという位置づけです。

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「METARIDE」


── 履き心地はそんなに違うものですか?


臼木:全然違いますね。特に下り坂で違いを実感してもらえると思います。前方にコロンと自然に足が動くので、足首の関節をあまり動かさずに済みます。

自分の決断でプロジェクトが動き、市場が変わる面白さがある


── ひとつの靴を作るときに、どういうプロジェクトの動かし方をされていますか?


臼木:まず、ボストンのプロダクト部門にて市場調査を実施し、それらを基に、デザイン・開発・スポーツ工学研究所にて商品開発を進めていきます。


──臼木さんの立ち位置は、いわゆるプロデューサーにあたるのでしょうか? だとすると、どのような能力が必要ですか?


臼木:よく言えばプロデューサーですかね(笑)。調整役なので、必要な能力としてはバランス感覚でしょうか。開発を進めるにあたっては工場や生産管理部など、いろいろな部門が関わります。そうした調整に加え、新しいマテリアル(素材)を調査しに海外の見本市へ赴いたり、技術特許に関する知識を得たりと多くの情報を収集し、売り上げ、技術、ニーズのバランスを取ることも必要です。大変ですが、自分の決断でプロジェクトが動く実感を持てるので、やりがいを感じます。


── では、ランニングシューズを開発する中で喜びを感じるのはどんなときでしょう?


臼木:やはり、自分が開発した商品が店頭に並んだときや、実際にお客さまが着用してランニングされている姿などを見るとうれしいですね。開発から発売まで約1年半と、道のりが長いぶん、かたちになった喜びは大きいです。


── 逆に悔しかったことは?


臼木:2003年くらいの入社間もない頃、開発を担当したシューズがミーティングで「ドロップ」と言われて見向きもされなかったときですね。そのときに、自分の思い入れの深さを痛感しました。開発にとっては、自分が手掛けた靴を粗末に扱われることほど悔しいことはないですね。社内でも商品を我が子のように扱って、実際“この子”って呼ぶ人もいます。


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── それはしんどいですね。でも、アスリートには支持されていたのでは?


臼木:そうですね。マラソンシューズに関しては、金メダリストの高橋尚子さんや野口みずきさんも過去の大会でそれぞれアシックスの製品を履いていたので、当時から信頼は厚かったと思います。だからこそ、品質に自信を持つことができました。


実際に、各素材の品質管理や完成品の品質確認などを、人の手でやっているので、多少のばらつきはあるかもしれませんが、品質管理においては厳しく管理しています。品質基準に関しては外資系のメーカーと比べても厳しいと思います。そこはジャパニーズブランドならではかもしれません。


── プロアスリートに選ばれるためには、ライバルの他社との競争にも勝たなければなりませんね。


臼木:そうですね。選手には必ずコーチがついていますので、コーチとのやりとりも大事になってきます。スポーツマーケティング部という別部隊が選手との橋渡しになっていて、そちらとスケジュール調整しながら靴を届けるなど、密にやりとりしています。これは、日本市場に特化したアプローチの仕方という感じですね。


また、海外選手にもグローバルのスポーツマーケティング部を通して靴を届けています。練習で試してもらい、フィードバックをもらって改善していくというプロセスですね。

アシックスの1足でランナーが安心できる世界を目指して


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── 多くの人にとって、ランニングは人生にどのような豊かさをもたらすと思われますか?


臼木:僕も週1回走りますけど、確実にストレス発散になると思います。事実、ランニングをすると脳がリフレッシュされると言われています。ランニングをして、ストレス発散する、気持ちが軽くなる、健康になる。そうした豊かさを足元で支えることができれば、私たちの使命を果たせているのではないかと思っています。


特に、これから大きな大会の開催が近づくにつれ、スポーツに接する機会が増えると思います。先日のラグビーW杯がいい例ですが、そのスポーツを知らない人にも関心を持ってもらえるチャンスです。さまざまなスポーツがある中で、ランニングに興味を持ってもらえたらと思いますね。


── ランニングシューズの市場競争は激しさを増す一方ですが、アシックスはどのような存在感を示していかれたいですか?


臼木:安心感を与えられるメーカーでありたいですね。「1足持っておけば間違いない」「アシックスのシューズがひとつあれば何キロでも走れるぞ」という安心感をもっていただけるとうれしいです。またランニングシューズだけでなく、「SUKU²(スクスク)」という赤ちゃん用シューズや幅広い年代の方々に使用いただけるウォーキングシューズなどもありますので、お子さんからご高齢の方まで、幅広い年代の方々に履いてもらいたいです。一家に一足、ひとり一足ご家庭にあっても損はさせない。そんなモノづくりを続けていきたいです。


取材・文:末吉陽子(やじろべえ) 撮影:小高雅也 編集:はてな編集部


取材協力:株式会社アシックス(臼木章さん)


株式会社アシックス パフォーマンスランニングフットウエア統括部 開発部 部長。1999年入社。ランニングシューズ開発、中国赴任、その他シューズ開発を経て2018年9月より現職。